2009年11月12日木曜日
異教の地に生きる
今年の秋に、インドネシアを訪れました。
インドネシアは、世界最多のイスラム教徒が住む国です。
ちょうど、ラマダンの月にあたり、一か月以上、仕事も学校も、路面店もお休みでした。
ここでは、モスクから一日5回コーランの朗読と祈りが大音量で鳴り響きます。
しかし、滞在中の土曜夜から日曜朝まで祭りのために、一晩中この大音量が鳴りやみませんでした。
朝になって、ホテルのバルコニーから見てみると一方向だけで4つのモスクがあります。
自分が、異教の国にいることを強く実感しました。
冷静に考えてみると、日本はどうでしょうか?
年末にはお寺の鐘がなるのはあたりまえのことです。年始には、神社に大勢の人が向かいます。
人の思想、文化、教育、習慣、価値観、どれをとっても聖書とは異なる国です。
神が人となってこの世界に来られた時、どのように感じられたのでしょう。
今日、キリスト者が異教の地に生きることは神のみこころなのです。
なぜなら、イエス様は全ての人類を愛するが故に、この地に来られたからです。
ヨハネの福音書1章11~12節
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