2015年6月28日日曜日

競技者



6月27日に、バドミントンの大会に出場しました。シングルスで優勝したので、これも僕の内に住んで下さる主の栄光です。

運動をすること、競技者となることについて、質問されることがあります。
この社会の中で、スポーツに打ち込んでいる人、あるいはプロ選手たちは、自分たちの世界を持っています。そこに飛び込まなければ、関係を持つこと、証することが難しい人たちです。

パウロも、キリスト者の人生を競技場で走る人、闘技をする人、拳闘にまでたとえて語っています。朽ちる冠を受ける人でさえ、自制し、努力を惜しまないのです。ましてや、朽ちない冠を頂く、私たちはどうでしょう。
肉体の鍛錬も有益であり、さらに優れているのは敬虔だとも書かれています。

話はバドミントンに戻りますが、ほとんどの大会は、土日に開催されます。
ある方は、「もっと大会に出場したら?」と勧めて下さいます。
スポーツを通して、イエス様を証する務めに召されている人もいるでしょう。
(それも、素晴らしい奉仕です)
しかし、僕は礼拝(そして、メッセージを語る務め)の日を競技に費やすことはしません。競技を出来ること、少しばかり優勝することも、すべてはいのちあってのことです。
人生を捧げたイエス様の前に、この優先順位は変わることがありません。

主よ、こんな素晴らしい人生をありがとうございます。


テモテへの手紙第一4章7~8節


2015年6月24日水曜日

豊かな実り


この見事なさくらんぼは、買ってきたわけではありません。
ある方が、庭になった実を持ってきてくれました。
木で熟したため、スーパーで買うよりも断然美味しいものでした。

聖書では、上からの霊が注がれ、果樹園がなると語られています。
上からの霊に満たされた時、そのいのちと喜びは、決して自分だけで満足するのではないものです。霊の荒野のような国であったとしても、果樹園となり、森となることを期待したいと思います。


イザヤ書32章15節

2015年6月22日月曜日

天の父


今年は、6月21日が父の日でした。
天の父は、私たちに必要なものをすべてご存じです。
マタイの福音書では、子がパンを下さいという時、石を与えることはなく、魚を下さいという時、蛇を与えないと書かれています。
では、子が石や蛇を求めたら、それを与えるのでしょうか?

年頃の娘を持つ牧師から聞いた話です。
未信者のボーイフレンドからドライブに誘われた時、この牧師は、娘にその男性を家に連れてくるように話しました。そこで、クリスチャンの価値観と、父親としての正直な思いを伝えたそうです。結果は、相手も理解してくれたようで、自らドライブを中止にしたようです。
父親は、子どもに対して何が良いことなのかを伝える責任があります。
もし、二人の関係が壊れてしまったら、娘に嫌われることを覚悟しての行動でした。

天の父も、子にとって不要なもの、害となるものは、与えることはありません。
そして、コントロールをすることもしません。それは、愛する者が、自分の意思で信じてほしいからです。

イエス様は、父に求めるものは何でも、父が与えてくれると語られました。
それに続き、全ての必要を満たす聖霊様を遣わして下さることを明らかにされました。
これこそが、天の父の約束でした。


ヨハネの福音書15章26節

2015年6月19日金曜日

クリスチャン人口


インドネシアは、国民の80%近くがイスラム教徒とされています。
しかし、クリスチャンも13%超と増加し続けています。
カフェに入ると、聞きなれたワーシップが流れています。
そして、街中には、イエス・キリストの巨大なモニュメントがあります。

この国に滞在すると、宿泊するホテル、予約する旅行代理店、レンタカー会社、パンク修理業、レストラン、両替所、ローカルTV局など、生活すべてクリスチャン同志で用が足りるのです。どこに行っても、「昨日の礼拝は~」「あの賛美は~」という会話が飛び交います。

クリスチャン人口が1%未満の日本は、神道国家とか仏教国と考えられています。しかし、神にとっては不可能ではないことが、このイスラム教国で証明されています。


イザヤ書60章1~3節

2015年6月8日月曜日

結婚記念日


6月8日は、19回目の結婚記念日です。

なぜ、男性と女性が存在するのでしょうか。結婚の意味は、何なのでしょうか?
創造主なる神と聖書がその答えを与えて下さいます。

神の前では、結婚した男女はもはや二人ではなく、一体と見られます。
かしらであるイエス様とからだである教会が、一つのいのちで結ばれているように。


創世記2章24節

2015年6月4日木曜日

この世に生を受けて


救い主であるキリストに出会うまで、自分が生きている意味が分かりませんでした。
何のために生まれて来たのか、人生に何の価値があるのかと自問し続けました。

今は、主が与えて下さった命であることを実感しています。
この命も、人生も、主のものです。

誕生日に、多くの方からお祝いの言葉やプレゼントを頂きました。
世界中に素晴らしい家族がいることも、神の恵みです。


イザヤ書43章1節

2015年6月2日火曜日

創造の美しさ


インドネシア・スラウェシ州の自然に包まれると、創造の素晴らしさに感動します。
海、空、緑はもちろん、夕と朝ではまったく異なる美しさを見ることができます。


創世記1章31節