2020年1月30日木曜日

韓国宣教11



10月27日夜が、今回韓国で最後のメッセージとなりました。ソウル・シティ・チャーチは、ビニールハウスで開拓が始まりました。今は、大きなビルで礼拝しています。チョウ牧師は、毎回、笑顔と愛を持ってもてなして下さっています。今回、二人のクリスチャンがクレジットカードをチョウ牧師に預け、日本チームを夕食に招いて下さいました。この夜の礼拝も、人々は飢え渇きを持って、主の前に進み出て来ました。聖霊様の深い臨在が、集まる人々を満たして下さいました。
出エジプト記40章34~35節

2020年1月25日土曜日

聖書のとりなし



とりなしの祈りとは、以下のように訳することが出来る言葉です。
(勢いよく)ぶつかる、間に入る、懇願する、結び合わす、仲裁等。
実際に、他の誰かのために祈ることですが、目に見えない世界でのブレイクスルー(打ち破り)が起きます。その動機は、人々の救いや守り、祝福やミッションの追行のためです。
反対は、自我の満足や、他者の呪いや裁きのために人と神以外の何かの間に入ることです。
1989年、僕は、まだ罪の中にどっぷりと浸かっていました。希望が持てなく、自分自身に落胆して、辛くて耐えられなくなりました。
その時、サイドビジネスのために借りていた部屋で自殺しようとしました。
遺書を書き、片手にナイフを持ち、手首を切ろうとした時、人生の様々な場面が走馬灯のように浮かんできました。その時、クリスチャンの女性が、その部屋に飛び込んできました。
彼女が、祈っている時に、神様が示されたからです。それ以降、神様が存在し与えられた命を、自分で奪うことは罪だと分かり、もう、自殺することができなくなりました。
その後、少し時間がかかりますがイエス様を主と告白し、人生を捧げました。
今、イエス様は、父の右に座してとりなして下さっています。
同じように、神の子どもは、この地上でとりなしの祈りを捧げます。
イザヤ書53章12節

2020年1月23日木曜日

韓国宣教10



10月27日も2つの教会で礼拝を捧げました。まず、午後に日本ビジョン共同体で、メッセージでした。この日は、パク牧師が通訳をしてくれました。以前は、日本でビジネスマンとして活躍していました。神様に人生を捧げ、日本でも牧師をしていました。今は、大阪とソウルを行き来しています。この日、集まった人たちは、牧師、宣教師、日本宣教へ重荷を持つ人だけでした。礼拝の後に、親交を深める時を持てました。全ては主の恵みです。
詩篇103篇11節

2020年1月19日日曜日

真の霊による見分け



去年から、牧師やクリスチャンから質問される機会が多くなったため簡単にまとめました。
目に見える世界では、本物、偽物、コピー商品があります。
真理の御霊による霊の見分けがあるように、偽りの霊による霊の見分け、この世の見分けが存在しています。

まず、この世の見分けですが、古くから様々な言葉で表現されてきました。
その方法を、シンプルに説明すると、五感(肉体)を通した情報を~たましいで識別して~肉体を通して(第三者に)伝えるものです。
心理学や自己啓発、時には経典を持つ宗教もこのような手法を用いています。

偽りの霊による見分けですが、聖霊以外の霊を通した情報を~たましいで識別して~肉体を通して伝えるものです。単純明快なのは、反キリストの霊です。
しかし、反キリストとは分からない場合はどのように見分けることが出来るのでしょう?
旧約にも、多くありますが、列王記第一22章21~23節では、偽りを言う霊が人を惑わすことが実際にあることが書かれています。
ヤコブの手紙には、神を信じてはいるが、(神に)従おうとはしないと定義されています。
まだ信仰を持ったばかりの人や、聖霊様との親しい関係が無い、あるいは主の声なのか、それ以外の声か聞き分けられない、神のことばによって成長する前のクリスチャンにとっては、悪い影響をもたらします。疑い、ねたみ、反抗、敵対心、様々な欲を掻き立てる(金銭、物質、地位や自己顕示)責任転換、自己中心等により、信頼関係の破壊、教会内に争いや混乱、分裂、分派、最終的には、かしらとしてのイエス様(決して救い主であることは否定しないにも関わらず)に結び付かない、イエス様のからだである教会から分離する等、様々な悪い結果をもたらします。

それに対し、神の国による霊の見分けは、
御霊から受けた情報を~たましいで識別して~肉体を通して伝えるものです。
最初の段階で、自己啓発や心理学的カウンセリングとは異なり、(霊の見分けを求める人からの)
言葉や状況説明等(五感による情報)が無くとも与えられます。また、多くの場合、過去や今だけではなく、これから起きることに対する霊的な作用を察知します。
その結果として、主のみこころを選択する、イエス様に従う、断絶した親子が和解する、崩壊した夫婦が回復する、恐れから解放される、様々な欲から自由になる、愛せなかった人を愛する、赦せない人を赦す、傷つける人から守られる等、神の国の実をもたらします。
簡単に書きましたが、これ以上、質問やセミナーの依頼が多くなった場合は、主に祈って判断しようと思います。ディサーンメントを聖霊様と神のことばによって教えられてから26年が経ちます。日本の教会での実例や、神のことばから、もっと深い部分も明らかにしていこうと思います。
日本の教会に、聖霊様からの見分けが与えられ、成熟できるよう祈っていきましょう。
エペソ人への手紙5章10~15節

2020年1月18日土曜日

韓国宣教9



19年10月25日の夜は、コルクハンビット光聖教会でのメッセージ。
メガ・チャーチでありながら、次々と教会を開拓する素晴らしい教会です。
礼拝の最後で、この教会の主任牧師が講壇に上がり、祈り始めました。
「日本を愛します!日本を愛します!日本を愛します!」
会場中が、この叫びに満たされ、韓国のクリスチャンも、日本チームも涙を流しました。
ホール全体が、イエス様の愛で覆われた瞬間でした。神の霊に満たされた時、肉は死に、いのちがあふれます。
ヨハネの福音書4章23~24節

2020年1月17日金曜日

韓国宣教8



19年10月25日の午前は、クリスチャンミッション&カルチャー財団の按手式に参加しました。これは、芸術や文化を通して宣教を行う働きです。クリスチャンは、地の塩であり光です。この世界に塩気を効かせ、照らすために様々な領域にキリストの証人が遣わされます。日本から按手委員に選ばれたのは、チェ・ドクシン宣教師が按手を受けるためです。
この日は、チェ宣教師にとっても日本のクリスチャンにとっても、記念すべき出来事となりました。
ピリピ人への手紙1章18節

2020年1月1日水曜日

2020年最初の日



この18年間で、1月1日に日本にいたのは、わずか二回しかありません。
海外にいると、日本食を食べることが無いのですが、不思議とこの日は、お雑煮が頭に浮かびます。新しい年も、新しいことが待っています。今年、初めて行うことがすでに多くありすぎて、自力ではどうしようも無い状況です。70年間のバビロン捕囚から、解放されたイスラエルの民は、どんな心境だったのでしょう。確実なことは、主のみこころは必ず実現します。だから、人のどんな権力や能力でもなく、聖霊の力に頼ることです。
2020年も主に期待し、信仰によって歩みます。
詩篇102篇18節