2014年3月28日金曜日

季節の恵み


2月22日に写したバルコニーの雪です。

毎年のことですが、よくこれだけの量が降るものです。
詩篇には、主は人を雪よりも白くきよめてくれると書かれています。
雪の白さを身近で見ているので、どれ程素晴らしいかが実感できます。

詩篇51篇7節


次は、3月22日に写したバルコニーの雪です。

毎日除雪をしていると、終わりがないように感じますが、ちゃんと春がやってきます。
冬が過ぎ去り、春が近づく楽しみがあります。

季節を創造して下さった主に感謝します。

雅歌2章11節

2014年3月27日木曜日

それぞれを備えてくださった


近所で起きた出来事です。
いつもの通りを歩いていると、近所のおばさんが雪の上に這いつくばっていました。
近所のおじさんが立たせようとしているようでしたが、様子が変なので近づきました。

「どうしましたか?」と尋ねると、その男性は、「立たせようとしているが、さわるなと抵抗されている」と言います。
試しに、「手を貸しましょうか?」と女性に声をかけると、じっと僕の顔を見ています。
その後、手を伸ばしてきたので、ゆっくりと立たせました。

本当は、僕もこの男性も、しようとしたことは同じはずです。
しかし(なぜかは解りませんが)、一方は拒み、もう一方は受け入れたのです。

クリスチャンなら、誰でも人を助けようとするはずです。
しかし、この出来事と同じようなことが実際にあるでしょう。
聖書は、全てのクリスチャンはキリストのからだの一部分だと教えてくれます。

からだに全ての器官が必要なように、教会に不要な人は一人もいないのです。
むしろ、各自が自分にしか出来ない働きがあると教えられます。
誰もが、主によって、備えられた一人だからです。


コリント人への手紙第一 12章18節

2014年3月23日日曜日

主が、私を立ち上がらせた


温泉には効能があります。
とても熱い国から冬の札幌に帰る時、その気温差は60度近くになります。
厳寒~灼熱~厳寒、体の温度調節機能が、限界を超えたことがありました。
その時、弟子屈の温泉(源泉かけ流し)に入り、不思議と機能が回復しました。

人生にも、自力では立ち上がれない時があるでしょう。
そんな時、キリスト者には、みことばと霊が与えられます。

主が、私を立ち上がらせた。なんと素晴らしい体験でしょう。


エゼキエル書2章1~2節

2014年3月21日金曜日

必要なものは~与えられます


年末年始を海外で過ごした帰りのフライトで、日本の食べ物が思い浮かぶことがあります。
今年は2月3日に、初めてお雑煮を食べました。

人は生きていくために、食物が必要です。
しかし、健康のためにではなく、欲求を満たすだけであれば、注意が必要です。
実際に、地球上では生きるために食べている人の方が多いのです。

主は、私たちが本当に必要としているもの全て与えて下さいます。
だから、神の国とその義を第一にする人生を送りたいと祈りましょう。


マタイの福音書6章31~33節

2014年3月11日火曜日

3月11日


今年も、3月11日という日がやってきました。

ある人にとっては、忘れてはならない日です。
また、ある人にとっては立ち止まってはならない日になります。

主は、全ての人の心と思いをご存知です。
キリスト者にとっては、地上での日々は、主と共に歩む旅の途中です。


ローマ人への手紙 14章5~6節

2014年3月8日土曜日

愛をもって


今の右足親指です。

飛行機に乗ることが続くと、足がむくんでしまうので、昨年、フットマッサージを受けたのですが、あまりの痛さで「もう少し軽く」とお願いしました。
が、時すでに遅しでした。
内出血して変色していますが、今は、痛くはありません。

本来、健康のために良いことでも、力加減を間違えるとありうることです。
幸いにも、キリスト者はこのことからも、学ぶことができます。

それが、賜物・才能・能力であれ、主から与えられるものには力があります。
ですから、それを行使する時の動機に気を付けなければなりません。

主からの賜物は、(利己的ではない)愛を動機として用いましょう。


コリント人への手紙第一 16章14節

2014年3月5日水曜日

賜物を用いる


3月4日、アルフィー・サイラス ゴスペルコンサートが行われました。

4オクターブの声とイエス様によって生まれ変わった証に、感動を覚えました。
何よりも、与えられた賜物を主のみこころのままに用い、仕える姿勢は素晴らしいものでした。


ペテロの手紙第一 4章10節