2015年10月29日木曜日

得た約束と得ない約束


へブル人の手紙11章には、旧約時代の信仰の人々が多数登場します。
その人々が得なかった約束のものとは、何でしょうか?
13節には、地上での生活は、旅の途中であり、天の故郷にあこがれていたとあります。

33~34節には、今度は、信仰の勇士たちが約束のものを得たことが描かれています。
国々を征服したのは、正しいことを行ったのは、弱い者なのに強くされたのは、どこででしょうか?
それは、地上の旅行中の出来事です。

イエス様を信じ、天の国籍が与えられている私たちは、何と幸いなものでしょう。
私たちは、旧約の人々が望んだ約束をすでに得て、地上でも約束のものを受けることが出来るのです。

望むことと約束を得ることをつなぎ合わせるのは、「信仰」だと聖書は語ります。


へブル人への手紙11章1節

2015年10月11日日曜日

主が笛を吹くなら


笛をふいても踊らないということわざがあります。これは、聖書から出たものです。
どんなに準備してもらっても、誘いあるいは勧めてくれても、応答しない人のことです。

日本では、1970年代から三無主義(無関心・無気力・無責任)と言われてきました。さらに無感動も加わり、四無とも言われます。

迫害の迫る中で伝道をしている、インドのキリスト者がこんな証をしました。
「真夜中にふと目が覚めて、一人祈ることがあります。これまでの人生に起きたことが思い起こされ、いつも、涙がほおをつたいます。自分が何者だからといって、主はこんなにも恵みを与えて下さるのでしょう」

笛を吹いても踊らないのではなく、打てば響く存在になった者の感謝と感動の涙です。


マタイ11章16~19節