2015年2月17日火曜日

ナッツ・リターンの結末


2月12日、ソウル西部地裁は、大韓航空前副社長に懲役一年の実刑判決を下しました。
ファーストクラスのナッツを袋のまま出したことに激怒し、航路を変更させたうえに業務妨害も認定された結果です。
公判の中で、客室サービスの責任者を罵倒、恫喝し、降機させた様子が明らかになりました。

父親が会長である被告は、自分の考えが法律よりも上にあり、機長よりも権限があると思い込んでいたことが分かります。つまり、善悪の判断基準が自分だということです。

主が人を創造された時、神が正しいと言われることが善であり、神が悪いと言われることが悪でした。しかし、善悪の知識の木から実をとって食べた後、自分の判断が善悪の基準となってしまいました。

しかし、罪を悔い改めた者だけが、神の義と御心に従う生き方をすることが可能なのです。


ローマ人への手紙6章20節

2015年2月13日金曜日

しるし(サイン)


ヨハネの福音書では、しるし(サイン)が何度も出てきます。
それらは、人にとっては奇跡ですが、イエス様の栄光を現すものです。
主は、ただ、奇跡を見せるだけではなく、サインによって栄光を見せたかったのです。

私たちも、人生で奇跡を体験します。その時、神の愛、御力、栄光を見るのです。

また、人の間でも、誕生日に届く花、想いをつづった手紙、バレンタインデーのチョコレート等、目に見えない感謝や愛の心を伝えるサインが交わされます。

今日も主に感謝します。


ヨハネの福音書2章11節


2015年2月10日火曜日

トゥルースとビリーフ


FGBジャパンニュース第179号で、塚本会長がとても大切なことを書かれています。
(*P3 2015年の御言葉)
それは、ビリーフ(正しいと信じられていること、思い込んでいること)とトゥルース(真理)を見分けることについてです。

自分の経験からも言えることですが、クリスチャンや教会が常識だと思い込んでいることには、聖書が教えていないことがあります。
その全てが悪いわけではありませんが、聖書が何と言っているかが、最優先なはずです。
人の伝統や習慣、あるいは時代の風潮と、聖書が語っている真理を同列には出来ません。

もし、(自分の)ビリーフだけで生きているなら、「自分の主は、自分だ」と語っているのと同じことになります。
パウロは、人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、自分につごうの良いことを言ってもらうため、気ままな願いをもって、真理から耳をそむけると警告しています。(第二テモテ4:3~4)

真のキリスト者は、真理に固く立ち、イエス様を主とする生き方を選びます。
困難もありますが、その時にこそ、聖霊様が助け主であることを体験するでしょう。


ペテロの手紙第二 1章12節

2015年2月8日日曜日

札幌雪まつり


2月5日から、66回目の札幌雪まつりが始まりました。
去年の来場者数は、240万人以上というから驚きです。

雪や氷の像は、太陽の光を反射して、まばゆいばかりの白さとなります。
今年の目玉の一つである、ダースベーダーも真っ白です。

三人の弟子の目の前で、イエス様は光り輝き、その衣は世のさらし屋ではできない白さだったとあります。
なぜ、そこまでの白さと輝きが必要だったのでしょう?
それは、主だけが、私たちの罪を、雪よりも白く(詩篇51:7)きよめて下さる御方だからです。


マタイの福音書17章2節