2019年10月30日水曜日

韓国宣教2



19日は、宣教師墓地を訪れました。戦後、韓国はとても貧しく、衛生状態も悪い国だったそうです。しかし、海外からの宣教師が尊い犠牲を払い、また、韓国の教会の涙と断食の祈りによって、今日の韓国となりました。このことは、クリスチャンではない政治家も認めている程です。夜は、サジャ教会でのメッセージでした。この教会は、毎晩祈り会を持ち、男性が多いことが特徴です。
ヨシュア記14章12節


2019年10月29日火曜日

韓国宣教1



今年二回目の韓国宣教です。18日最初のメッセージは、ハヌルマウム(天の心)教会でした。韓国と日本の関係が、とても難しい状況ですが、そのような時こそ、教会が愛し合い、一致できるように願っています。今回、日本からのチームは、前半と後半に分かれて、総勢で11名になりました。一人の女性は、三代前の叔父が、陸軍司令官であったことを、長年、苦しんで来ました。この集会で、そのことを謝罪し、韓国のクリスチャンと抱き合い和解する感動の時となりました。神様のみこころを行う時、聖霊による自由が訪れます。
コリント人への手紙第二3章17節

2019年10月20日日曜日

主がお遣わしになった



月に一回、横浜で始めた弟子訓練が、10月は13日に行われ12名集まりました。
今回は、殆ど日本の教会では、語られないことを伝える機会となりました。
現在進行中のミッションを分かち合い、次の世代に引き継ぐミッションについて触れた時
それは、世界で最も困難な国々への宣教ですが、貴映(きえ)ちゃんから、「ここで、弟子訓練を受けてるのだから、それは、私たちがやるしかない。」という言葉が自然に出てきました。いつもは、消極的な彼女が、何のためらいもなく言った時に、周りからは「お~!」という声が上がりました。彼女は、無意識に言ったのでしょうが、聖霊様が語らせる時も同じ場合があります。そして、僕の心が震えるのを感じたのです。少なくとも、日本のクリスチャンでは、初めて応答してくれたのが彼女だったからです。
ルカの福音書10章1~3節

2019年10月16日水曜日

患難の時に祈る



日本観測史上、過去最大の台風19号(ハギビス)により、75名が死亡、344名が負傷し、堤防の決壊が79ヵ所という被害がありました。このような状況では、誰もが真剣に祈りますが、大切なのは、普段、何も無い時にどれ程祈っているかです。イエス様が弟子たちに、教えた祈りには、「日ごとの糧を今日もお与えください。」が含まれています。これは、この世界で生きるために必要なものを求める祈りです。関東を直撃したニュースを見て、心配になった母親から、珍しく電話がありました。僕の答えは、「心配せずにイエス様に祈っていて」です。
試練や患難に会った時、恐れや思いわずらう事は、何の解決にもなりません。
神様の前で、心を静めて祈ることこそが重要です。
ローマ人への手紙12章11~12節

2019年10月7日月曜日

神の民が頼るもの



アハシュエロス王が、ハマンに対して全ユダヤ人を殺害する許可を与えました。それは、モルデカイがひれ伏すことを拒んだことが発端でした。その時の判断基準は、王に絶対服従すること、また、ハマンは許可を得るために銀一万タラントを差し出すと言ったことです。これこそが、権力と富こそが頼りのこの世の王の判断基準です。
その時、エステルが要請したのは、断食の祈り、つまり神の御手でした。
結果は、神の御手が王の心を変えて、堂々とユダヤ人であることを宣言できる状況になります。どの時代のどの国にも、あなたに対して権力をふるえる者がいるはずです。
しかし、神を信じる信仰こそが、権力と富を頼りにしている者を変え、動かすのです。
エステル記8章16~17節

2019年10月4日金曜日

世の友と真の友



ビジネスの世界では、永遠の敵は無く、信頼する友もいないのが常識です。
イギリスには、永遠の敵も、友好国も無いと言われています。
共通していることは、競争相手なのか、または自分に利益をもたらすか利用できる存在なのかをはかりにしている点です。昨日の敵は今日の友、ここまでは良いのですが、今日の友が明日は何か分かりません。
人が持っている愛の中で、最も強いのは友人に対する愛です。
それは、ダビデとヨナタンの生涯に現わされています。彼らは、その愛により契約を結びました。僕の生涯にも、ダビデとヨナタンの契約を結んだ友がいます。主をほめたたえます。
さらに、優れた愛は、神の愛アガペーです。
真のキリスト者は、利害関係でも会員制度や教派、教団による結びつきでもなく、神の家族であるはずです。契約をしたにもかかわらず、一方的に破棄するなら、それは世の友なのです。讃美歌いつくしみ深きの歌詞に、「世の友われらを棄て去るときも、祈りに答えて労りたまわん」とあります。
サムエル記第一20章17節