2014年7月27日日曜日

ガブリエルステーキ・リニューアル


沖縄にあるガブリエルステーキが、リニューアルしました。
ステーキレストランが多い現地にあって、ここは一味違います。

何より素晴らしいのは、店長のテツヤ君は、TCJ(ティーンチャレンジ・ジャパン)出身のクリスチャンです。

彼は、依存症から解放され、自立の一歩を踏み出しました。
新約聖書の天使ガブリエルは、喜びの訪れを告知し、旧約聖書では、幻の意味を悟らせてくれます。

ダニエル書8章15~16節


904-0115
中頭郡北谷町美浜9-39 デポアイランド内
オークファッションビル2F

2014年7月19日土曜日

ラケットのグリップ


23年以上も前のラケットなので無理もありませんが、グリップのレザーがボロボロになっていました。
新しいグリップに巻きなおしたのですが、今度は握力と反応の衰えに唖然となります。

ラケットを使う競技において、グリップは勝敗を左右する要素です。
これは人生においてもそうですが、人は自分の人生を握りしめようとます。
しかし、どんなに強く握ったとしても、それで思い通りに生きられるわけではありません。

自分の人生を最も信頼すべき御方にゆだねられる人は、幸いです。
主は、人ではなく神であり、愛する者をしっかりと捕えて下さるからです。

主の御前では、どんな落とし穴も恐れる必要はないのです。


イザヤ書8章11節

2014年7月15日火曜日

私はサイコパス


一時は4人が誤認逮捕されるという前代未聞のPC遠隔操作事件でしたが、5月19日、ついに、片山被告が自らの犯行を認めました。

片山被告は、以前、「真犯人はサイコパス(反社会的人格)だと思う」と話していたと言い、20日には「それは自分。嘘を平気でつける」と語りました。

弁護士は、記者からの質問を受け「こういう事態になり、どうしてああいう人が生まれたのかということを考えないといけない」と神妙な面持ちで心境を語りました。

現代社会の風潮は、罪を罪と言わないことにあります。

教会までもが、「罪」を「問題」にすり替えてしまう場合があります。
しかし、もし、罪を感じなければ、「赦し」を求めることもないはずです。

ゴミを大切に隠し持っても、それは、捨て去らなければ消えることはありません。
同じように、どんなに上手に隠しても、罪は消えることはありません。
神様だけが、完全な解決である、罪を赦す権威を持つ御方です。


ミカ書3章8節

2014年7月12日土曜日

油をたやすことなく


5月29日、台北に向け発ったLCCバニラエアが、燃料不足で宮古島に着陸するという珍事が起きました。このエアラインはとても新しい会社です。機材も乗務員も、みな、新しかったのです。

どんなに新しい機材、どんなに高性能のエンジンを積んでも、燃料が切れたら飛ぶことはできません。

クリスチャンにとっても、大切な教訓であるはずです。


マタイの福音書25章3~4節

2014年7月8日火曜日

台湾のかき氷


台湾のかき氷は世界一と評判で、なめらかな食感でやさしく溶けてしまいます。

かき氷にも旬があるのをご存知でしたか?

それは、6~8月と言われていますが、そのわけは、高温多湿のためおいしく感じ、マンゴーの季節であることだそうです。

こんなに美味しく作れる台湾の人はすごい!と思いますが、全ては神様の創造があってのことです。

今日も、主に感謝しましょう。


ヨブ記37章10節

2014年7月5日土曜日

とみさんに起きたこと


幼稚園に入る前から、僕は家に放置されていました。当時は、育児放棄という概念が無かったのでしょう。

そんな自分をかわいそうに思い、実の子供のように接してくれたのが、佐々木さん夫婦でした。佐々木とみさんは、母親の姉です。子供ながらに、いつか恩返しがしたいと思っていました。

しかし、社会人の時、職場に一本の電話が来ました。「佐々木とみさんが危篤なので、すぐ病院に来るように」という内容でした。頭をハンマーで殴られたようなショックを受けました。一命は取り留めましたが、脳卒中のため、植物人間となってしまったのです。当時の自分は、会社・スポーツ・家庭もあり、忙しい日々でした。なぜ、元気なうちに、美味しい物をごちそうし、好きなところに連れて行かなかったのか。自分はなんて恩知らずな人間なのかと悔やみました。
お見舞いに行くこともつらく、ただ、泣くことしかできませんでした。
その時、自分が神を恨む者になったことを記憶しています。

叔母さんは、2年間その状態でしたが、その間に、自分が奇跡的にキリスト者となりました。新生して間もなく、再び危篤の知らせが来ます。もう、何を話しても聞こえない、感じない叔母さんに何ができるのか?祈って病院に向かいました。心電図やいくつかの管がついていた集中治療室に入った時、不思議なことに、看護婦さんも親類も誰もその部屋からいなくなり、2人だけになりました。(なぜかは、今でも分かりません)

彼女のすぐそばに座り、耳元で語りかけました。「とみちゃん、イエス様を信じて。唯一の救い主で、信じるなら、天国に行けるんだよ。もし、僕の言ったことが分かったら、声が出なくてもいいから、何かで応答して。」その時、彼女は僕を見ました。顔の向きは動きませんでしたが、眼球だけを動かしたのです。その目には、涙が浮かんでいました。

この2年間、どんな声にも反応できなかった彼女に、「何か」が起きたのです。翌朝、彼女は息を引き取りました。初めての危篤の時は、涙が止まりませんでしたが、この時は平安に満たされていました。イエス様は、2年間植物人間だった叔母に、救いの御手を伸ばして下さいました。僕には、あの時の目と涙が、彼女に出来た信仰の応答だとしか思えません。この証を、叔父である佐々木忠さんに伝えたかったのですが、所在が分からなくなっていました。

それから、23年の月日が流れて、叔父さんとの奇跡的な再会があり、ついに、とみさんに起きたことを伝えることが出来ました。

主よ、あなたの愛と慈しみは、人知をはるかに超えたものです。


ヨエル書2章32節