2018年12月31日月曜日

さよなら2018年




今年も多くの新しい人との出会いがありました。

パウロが、新生してから、行く先々で同労者がいました。

もちろん、にせ兄弟や悪い犬とも出会いました。

イエス様も、足のちりを払い落す必要があることを教えられました。

真のキリスト者には、人生という旅を共に歩む仲間が与えられます。
ピレモンへの手紙24節

2018年12月23日日曜日

クリスマス・ラブ・コンサート~一つになって




12月22日に、新宿文化センター大ホールで行われたクリスマス・ラブ・コンサートに行きました。このコンサートは、音楽を通してアジアの国に、ボランティアを行っています。東京シモンコーラスの指揮者であり、指導者である星野先生が招待して下さいました。

コンサート前に、星野先生、男性、女性の楽屋を訪れ祈る時を持ちました。

コンサートは、想像していたよりも素晴らしいものでした。観客席で感動し、涙を流す人もいたほどです。音楽におけるハーモニーは、個々の楽器、声のパートは異なりますが、一つとなってメロディーを奏でる時に美しく響きます。

キリストの体である教会も同じです。カルトや宗教と違い、一人一人異なる者が、イエス様のため一致した時、花嫁として輝くのです。

ゼパニア書3章9節

2018年12月19日水曜日

横浜発祥~日本最初のプロテスタント教会



横浜には、数々の日本初があります。プロテスタントと呼ばれる教会(ここでは、教会専用の建物を持った意味)は、1863年聖公会が外国人寄留者のため横浜クライストチャーチが、1872年3月横浜で日本基督公会(日本クライストチャーチ)が、最初の日本人プロテスタント教会です。

ガリラヤのカナでイエス様が、水をぶどう酒に変える最初のしるしを行い、弟子たちは信じたとあります。しるしは目に見え、明らかにされるためのものです。

決して偶然ではなく、主が横浜を選ばれたことには意味があります。

ヨハネの福音書2章9~11節

2018年12月16日日曜日

クリスマスシーズン




今年も、15日に在留インドネシア人教会のクリスマスに参加して来ました。

これまで、弟子屈、神戸、札幌、これからも、久喜、新宿クリスマス・ラブ・コンサート、横浜華僑基督教会、本牧他と続きます。インドなどでは、一年で一番、迫害が増加する時期です。日本人は、本当に平和で豊かな国に生まれて来たことを感謝しなければなりません。

イエスキリストが人として誕生したのは、洗礼ヨハネが産まれた6か月後で、仮庵の祭りあたりであったことが聖書から読み取ることができます。僕たちが使う西暦のカレンダーでいくと、2019年は10月になります。日本では、最も教会に人を誘いやすい機会です。クリスチャンは、クリスマスの本当の意味を考え、神様が、自分の為に何をしてくれたのかを、思い起こす時にしましょう。また、新たな恵みを感謝する時となるでしょう。

イザヤ書9章6~7節

2018年12月13日木曜日

一期一会



当時は、全日空ホテルという名称でしたが、リ・ブランドでクラウンプラザホテルに格上げとなりました。ここで、主のアレンジによる出会いがありました。その日、40分ほど遅刻し、母親を困らせた女性は、僕と話すのは最初で最後と決めていました。話し終えた女性が、すっくと席を立ち、その部屋からさったのですが、再びドアが空き「次はいつ来るんですか?」というセリフを残していきました。失望しかけた母親に希望が沸き上がりました。たった一回のチャンスでしたが、聖霊様にとってそれは十分でした。救われ、幸せな家族を得た女性から、福音が広まり町内で一つしかない教会が始まったのです。人生の一瞬が、神の御手によって動かされます。主は、いつも良い御方です。

ルツ記1章16節

2018年12月9日日曜日

寂しさに勝る喜び




12月3日に、弟子屈でのクリスマス礼拝を持ちました。そこには、今年1月に天に召された山本さんの姿はなく、一抹の寂しさを感じていました。ところが、その息子さん夫婦が、生後2か月の赤ちゃんを連れて参加しました。愛する家族は、天に見送りましたが、そこには新しい喜びがありました。

エステル記9章22節

2018年12月6日木曜日

増して下さる


ヨブは、財産や家族、健康までも失いました。その時、主は,どこにおられたのでしょう。

人生の中で、何かを失うあるいは奪われる経験をすることがあります。多くの人は、「神がいるなら、なぜこのようなことが」と言い、また、多くのクリスチャンも「なぜ、自分だけが、このような目に合うのか」と考えます。私たちの神は、眠ることもない、御手が短くて届かないわけでもありません。誰の人生にも、夜が来て、朝が来ます。

ヨブは、神は夜も働いて下さるという信仰を得ました。悔い改め祈る時に、信仰とともに、感謝も喜びも、目に見えるものも見えないものも増して下さる神を体験しました。

ヨブ記42章10節