2014年6月23日月曜日

23年ぶりの再会


5月11日、義理の叔父と約23年ぶりに再会することが出来ました。
佐々木忠さんは、叔母のとみさんとともに、僕を実の子供のように扱ってくれました。

そのとみさんが天に召された後、住所も連絡先も分からなくなり、探す手立てもありませんでした。しかし、奇跡的に母親が務める介護施設に入所してきました。
86歳で、少し理解が難しく、物忘れもありますが、福音を伝えるチャンスが与えられました。

旧約聖書では長年に渡り、イスラエルが異教の神を求め、異教の国に頼ることを繰り返しています。しかし、それでも主は彼らを愛し、救いの手を伸ばし続けます。
神の前では、決して遅すぎることはないのです。

次は、叔母のとみさんの奇跡の証を紹介したいと思います。
主よ、この再会をありがとうございます。


ホセア書11章8節

2014年6月19日木曜日

異端の教え~終末


終末の教えといっても幅広いですが、イエス様の再臨に関して、聖書にはどのように書かれているでしょう。

あなたの身近に再臨の時期、携挙の時を特定する人がいたとします。
年代を計算した、あるいは啓示を受けたと、聖書をつかって説明したとしても、それらは誤りです。そのような人が~年~月と語っても、実現するかを待つ必要はありません。
語った時点で、その教えは聖書からではないことが明らかです。

聖書には「主の日は、盗人のように来る」と書かれています。盗人が来るのが予想出来ないように、人には分からないのです。
また、使徒の働きで、弟子たちが「主よ、今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか」と質問する場面があります。この時点(ペンテコステ前)で、弟子たちは、まだ、他のイスラエル人と同じことを期待していました。イエス様の答えは「いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです。」と答えられました。

どのような国あるいは時代にも、主の再臨はいつと教える者が出てきます。
もちろん、主が再び来られることは疑う余地のない真理です。
しかし、そのような教えに惑わされてしまい、仕事や結婚することを止めたり、保険や年金を解約した人たちは、その後どうなるのでしょう?また、そのようなにせ終末論を聞いた、神を知らない人たちにどんな悪影響を及ぼすのでしょう。

イエス様は、「その日、その時がいつであるかは、誰も知りません。」と教えられました。
だからこそ、目をさましていることが必要なのです。祈りを絶やすことなく、結婚式を待つ花嫁のように、輝きを増すことが主のみこころなのです。


マタイの福音書24章42節

2014年6月11日水曜日

水のバプテスマ


6月8日、ペンテコステの日に、もう一つ嬉しいことがありました。

麻友美さんの洗礼です。しかも、COR中の島で、初めて才門が洗礼を授けました。
洗礼は、悔い改め、イエス様を信じ、共に歩むことを公けに証する時です。

天と同じように、地上の教会にも喜びが溢れる時です。


ローマ人への手紙6章4節


2014年6月8日日曜日

ペンテコステの日


チャーチオンザロックは1996年ペンテコステの日から始まりました。
そして、今年は6月8日がペンテコステです。
旧約聖書の時代にも、聖霊が人の上に降ることが描かれていました。
しかし、イエス様が天に昇られた後のペンテコステは、明らかにそれまでとは違いました。

メノーラに火が灯されました。
上からの油注ぎは、その火を燃え上がらせたのです。
教会が誕生しました。
人々は、キリストのからだとなりました。
使徒によって力ある御業がなされ、教会によって神の愛が表されました。

その日から、今日まで福音は世界に拡がり続けています。
主イエス様が再び来られるまで。


使徒の働き2章1~3節

2014年6月6日金曜日

主が私を捕えた


僕は、1990年8月に、悔い改めイエス様を信じ新生しました。

その時、「あなたに救われなければ、自分の命はありませんでした。だから、これからの人生はあなたのものです。」と告白したことを鮮明に憶えています。
(自殺未遂のうえ離婚して、仕事をすることも人と会うことも出来ない状態でした)

その日から、今日まで主に仕えていることは驚くべきことです。
なぜなら、人間の意志とは、信頼できるものではないからです。

ダビデは、主の御手が、私を取り囲み、捕えたと告白しています。
御霊から離れることは出来ないとも告白しています。
僕がどんなに弱い存在でも、主の御手が捕え、御霊から離れられなくして下さいました。

6月8日は、今年のペンテコステです。
全てのキリスト者と教会に、聖霊が下り、火が灯されますように。


詩篇139篇5~7節

2014年6月1日日曜日

いつも・たえず・すべてに


5月23日、バドミントンを指導している時でした。
この日、新しいヨネックス社のラケットを試打しました。
(自分のラケットは、24年以上前に契約していたヤマハ製です)

最新のテクノロジーは、素晴らしく、とても良くなっていました。
そして、つい、ジャンプ・スマッシュを試してしまったのです。
ジャンプした瞬間に、左足ふくらはぎに痛みが走り、動かすことが困難となりました。
結果は、部分筋肉の断裂で、通常の生活は2週間、運動は3週間と診断されました。

私たちの人生には、予期せぬ出来事(痛みが伴う事)が起きます。
しかし、25日の礼拝時に、主が、左足にふれて下さったことを感じました。
翌日には、痛みは消え、28日からスポーツクラブでトレーニングを再開しました。
写真は、予期せぬけがでも、喜んでいる様子です。

また、けがの瞬間から祈りました。主は、様々なことを教えて下さったのです。
けがをした時の選手や、老いて体が衰えた人の気持ちを。

主に捧げた人生ですから、この体も自分のものと思い違いをしないことを悟りました。
聖霊の宮であるからだを大切に扱うことを知り、主に感謝せずにはいられない日々です。


テサロニケ人への手紙第一5章16~18節