2009年9月27日日曜日

What is modesty?


The person in this picture is Mr. Masuyama who came to Sapporo last July. He has a big social responsibility and makes a large contribution to Christianity in Japan. When people did good thing and succeeded, they want to be proud of themselves. Cult groups or new religious groups praise themselves all the time. A modest person is the one who is praised by others, not by him- or herself. Whenever I talk to him, I realize a magnificence of being faithful and modest. God the Father says He is watching such a modest person in private. It is possible for the people who is in Christ to acquire modesty and go through life accepted by others and God the Father.

Proverbs 27:2
          

God’s masterpiece


When they are asked “Where is the best place in Hokkaido?”, many people seem to answer “the east of Hokkaido”. Many foreign tourists visit there because of many good hot springs and delicious foods but the most attractive thing is the vastness and beauty of nature, such as Lake Mashu or Kushiro Marsh. It would be impossible for a great artist to express the beauty. In the Bible, it says this world is a creation of God, who is the creator. What is God’s masterpiece? In Isaiah, it says “you are precious in My eyes. I love you.” The Creator says the masterpiece more than the beauty in nature is people. This is God’s word for you.

Isaiah 43:4

Who will change this country?

On 30th /Aug. / 2009 we had a Lower House election. Everyone’s expectant whether the entire government can be reappointed or not. I always wonder that politicians don’t explain their concrete plans through media or in a public speech. How many people can decide which candidate to vote from candidate’s ambiguous speech? Looking back, everyone paid attention to politics when there is a possibility of revolution in Japanese government. That means many people are interested in changing their society or life. When we think about the structure of a country, the smallest unit in society is a family, an ensemble of family is a community, and an integration of a community is a country. Japanese people hope their society or life will be changed by government, education system, economy, or religion. However, they don’t try to their ways. They expect some great power to solve the problems and rely responsibility to others. If Christians in Japan try to change themselves, their families, and their community, a big revolution will come to this country. A big real estate or sophisticated theology will not change this country. Our King, Jesus, told clearly what to do first to the people of God’s kingdom. Yes, He tells you to do it.

Mark 16:15, Matthew 28:19~20

2009年9月26日土曜日

怒り続ける人たち



以前、インドに行った時の出来事です。深夜、寝静まっていましたが、どうにも騒がしい声が聞こえました。この国では、24時間、騒音かクラクションが絶えないのですが、ちょっと様子が違いました。

ホテルの部屋から窓の外を見てみました。駐車場で20名程の集団が怒鳴りあっています。喧嘩はよく見る光景ですが、10分たっても20分たってもボルテージは上がる一方でした。いいかげん長いと感じて再びのぞいてみると、一人の大男が手に棒を持ち、相手の集団を威嚇していました。一瞬の隙を見た駐車場の警備員が、棒を持つ腕に飛びつきました。(どっちの味方かわかりません)それが合図となって、取っ組み合いが始まります。
ホテルの従業員もジャケットを脱いで参戦しました。その後で、厨房のコックさんたちも白いユニフォームのまま、走って来て参戦しました。あっという間に、駐車場は人で溢れかえります。もう、誰が味方か敵か分からない状態で、大乱闘となりました。
そこに、警察が到着するのですが、アドレナリン放出状態の人々は乱闘を続けています。ようやく、終息をむかえ、ふと時計を見ると、最初に怒鳴り声が聞こえてから1時間半が経過していました。

あのような尋常じゃない怒りは日本では見たことがありませんでした。果たして日本人ならこんなに長い間怒りが持続するのかと考えました。
何が原因で大騒動になったのか今でも分かりませんが、聖書には、「人の怒りは神の義を実現するものではない」と書かれています。人は、怒るという感情を持つことを避けられません。しかし、エペソ人の手紙には、「怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません」と忠告されています。

人は、自己中心が原因で怒りを覚えます。また、その怒りという感情に対して正しく対処せず、後生大事にしまい込んでおくのです。
それに対して、神の怒りは、罪や不正、偽善に向けられます。
神様は罪を憎まれますが、罪の奴隷となっている人には、憐れみをかけてくださるのです。なぜなら、主イエス・キリストは、裁くためではなく、罪を赦すために十字架に架かってくださったからです。私たちもキリストに似たものとなりましょう。

ヤコブの手紙1章19~21節

2009年9月18日金曜日

クリスチャンホーム



チャーチ・オン・ザ・ロック札幌で、聖書教師として奉仕をしている木林さんのお宅に招かれた時のことです。
木林さんご夫婦が、仲睦まじく手作り料理を用意してくれました。
少子高齢化の時代に六名のお子さん(うち一人は海外留学中)がいますが、それぞれがタラントを用いて、私たちを迎えてくださいました。      聖書の場面を描いた油絵を披露してくれたり、留学中の兄弟が作った第一号作品のバイオリンで奏楽をしてくれたり、本当に楽しい時を過ごすことができました。
そして、末っ子の廉太郎君は、Wiiで本領発揮し、汗だくの大奮闘!
家庭の崩壊が深刻化する時代に、イエス様を中心にお迎えした家族の素晴らしさを味わえた一晩でした。どんなに社会で成功していても、宗教らしく装ったとしても、家族が生き生きとして幸せであることは、それに勝る神様の祝福です。
            
私と私の家とは、主に仕える。 ヨシュア記24章15節

2009年9月13日日曜日

謙遜な人とは



写真に写っているのは、今年7月に札幌に来られた増山さんです。
彼は、社会的に大きな責任を負う立場であり、なおかつ、日本のキリスト教会にとって、多大な貢献をしています。人は、良いことや成功した時に、つい自分の功績を誇りたくなるものです。

カルトや新・新宗教と呼ばれる集団は、よく自画自賛のオンパレードを行います。
本当に謙遜な人は、自分の口ではなく、他者にほめられる人です。
彼と接するたびに、忠実で謙遜であることの素晴らしさを実感します。
そんな謙遜な人を、父なる神は、隠れた所で見ておられると言っています。
キリストにある者は、謙遜を身につけ、父なる神と他者に認められる人生を歩むことができるのです。
                                 
箴言27章2節

2009年9月6日日曜日

神の最高傑作



「最も北海道らしい場所は?」と聞かれると、「道東でしょう。」と答える方が多いようです。海外からのツアー客も多く、温泉も食べ物も素晴らしいところです。しかし、なんといっても人を魅了するのは、摩周湖や釧路湿原など、自然の雄大さと美しさです。どんなに優れた芸術家でも、自然を超越する美しさは表現できないのではないでしょうか。
聖書には、この世界は創造主なる神の被造物(つまり作品)であると書かれています。
では、神の最高傑作とは何でしょうか?イザヤ書には、このように書かれています。「私の目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなた愛している。」どんなに美しい自然にも勝る最高傑作は、人間であると創造主は言われます。それは、あなたに語られている神のことばなのです。
                           
イザヤ書43章4節

2009年9月3日木曜日

誰がこの国を変えるのか


8月30日は、09年衆院選の投票日でした。今回、注目を集めたのは、「政権交代が実現するか」という点です。日本の選挙で不思議に感じることは、メディヤを通しても、街頭演説でも、抽象的な表現が多く、具体案がほとんど聞けないことです。
はたして、あの内容で、どの候補者に投票するのかを、自分の考えと意思で判断できる人がどれくらいいるのでしょうか?

過去を振り返る時、何らかの変革が話題になった選挙は、注目度が上がります。
つまり、社会や生活が変わることに関心がある人は多いのです。
国の構造を考えてみると、個人の集まる最小単位は家族であり、家族の集合体が地域であり、地域を統合しているのが国です。日本人は、政治や教育、経済や宗教などに、社会や生活を変えてもらいたいと願います。
しかし、自分自身が変わろうとはしません。いつも、他力本願・他者の責任なのです。

もし、日本のクリスチャンが、まず、自分自身が変わることを願い、家族が変わることを願い、属している地域が変わることを真剣に願って生きるなら、大きな変革が訪れます。
大きな不動産や、高度な神学知識が変革をもたらすことはありません。
私たちの王なるイエスは、神の国の国民にたいして、最優先にすべきことを、はっきりと語られました。 
そう、それは、あなたに語られたのです。

マルコの福音書16章15節 マタイの福音書28章19~20節