2019年2月28日木曜日

天の国籍




過激派組織イスラム国(IS)に加わった英国人女性、シャミーマ・ベガムさんに対して、イギリス政府は、市民権を剥奪することを伝えました。ベガムさんの母親の母国でイスラム教国のバングラデシュも、ベガムさんの入国は認めないことを言明したため、無国籍となることがほぼ確実となりました。彼女は、インタビューで、イスラム国に加わったことを後悔していないと話したそうです。

人には自由意志があり、その選択によって国籍を失うこともあることを考えさせられる出来事でした。

目に見える世界には、国籍がありますが、永遠ではありません。しかし、神様が与える天の国籍は永遠です。それは、人が救い主を信じることで与えられる恵みです。

ルカの福音書10章20節

2019年2月20日水曜日

歌を賛美に




最近、20年来の友人であるマイケル・ウィリアムズさんの賛美を聞くことが出来ました。彼は、人生を捧げて宣教師となりますが、2009年に白血病になりました。奥様と二人の子供がいる彼にとって、どれ程のショックだったでしょう。しかし、神のみことばを信じて、奇跡的に回復します。その信仰と思い、体験を通して神に捧げるものです。彼の賛美に浸る時、主の深い恵みを感じることが出来ました。

詩篇102篇18節

2019年2月19日火曜日

信仰とマインド・コントロールの違い1



異端(全てが当てはまるわけではない)とカルトの共通点に、その特殊な教育方法があります。一般社会では、マインド・コントロール(以降MC)と呼ばれています。

大きく分けると、信者やメンバーを四つの点でコントロールします。それは、思考・行動・感情・情報です。クリスチャンは、信仰とマインドコントロール(人のテクニック)の違いを知り、見分けることが重要です。

最初の思考ですが、MCは、聖書を理解する、救いをえる、幸せになる、正しく判断するには、教祖や組織が無ければ出来ないと教えられます。

言い換えるなら「教祖や組織の指示は絶対である。なぜなら、それだけが神の指示だから」という教えです。多くの人々は、傷つき、矛盾を感じ、不安があるにも関わらず、教祖や組織に、従わざるをえない状態になります。

本当の信仰は、神が、指導者や教会に語るように、私にも語って下さる。あるいは、神は、指導者や教会を用いて導いて下さるように、私にも導きを与えて下さる。

なぜなら、神のことば(聖書)と聖霊様(助け主)が、語り導いて下さるからです。

指導者や、教会が聖霊によって導かれているなら、そこには、神の愛と満たしがあります。また、幼子の時は全てが分からなかったとしても、神の愛と平安があります。

大前提として、MCは、人が人をコントロールします。それは、活かして育てることと、本質的に異なります。教祖や組織の目的は、愛以外の目的(名誉、金銭、地位、支配願望や自己実現)を満たすことにあります。

聖書では、弟子たちは、人である自分の弟子とするのではなく、キリストの弟子を育てました。そのために、弟子たちも神のことばを信じ、聖霊に満たされる必要がありました。使徒の働きのタイトルは、正しくは、使徒を用いた聖霊様の働きという意味になります。

クリスチャンの思考は変えられていきます。それは、最初のアダムから受けたものから、最後のアダムである主キリストから受けたものへのシフトです。それは、義と平和と聖霊による喜びをもたらしてくれるのです。

ヨハネの福音書14章26節

2019年2月14日木曜日

現代と異端4




クリスチャンは、異端にどう対処するよう語られているのでしょう。

神様のみこころは、「全て造られた者に福音を伝えなさい。」です。

異端に捕らわれている人も、この造られた者の一人です。

聖書には、無視しなさいとも、口論や論破しなさいとも書かれていません。

あなたは異端だと断罪したり、サタン扱いすることで、その人たちは救われるのでしょうか?このような対処は、異端に捕らわれている人々を、救いから遠ざけてしまう結果になります。もちろん、すべてのクリスチャンは、異端伝道しなければならないという意味ではありません。彼らの救いのために、祈り、とりなし、証をし、ある人は伝道することこそ神様のみこころです。

テモテへの手紙第二2章24~26節

2019年2月7日木曜日

現代と異端3




異端の定義3番目は、信仰による救いか否かです。

異端と呼ばれる集団や思想は、救われるためには、信仰だけではなくプラス~が必要と教えています。それは、救いが、現時点で確定したものではなく、将来救われる、あるいは、異端にとって都合よく~をしたら救われないという教えになります。その多くは、行いが基準(一般で言うノルマ)に達していない場合や、組織やリーダーに絶対服従しない場合に使われます。このようにして、従わなければ救われないという恐れが異端信者の動機となります。

聖書は明確に、救いは、唯一真の救い主イエス・キリストを信じることによると記しています。信仰は、自分の罪のため、十字架にかけられた救い主イエスを仰ぎ見て、信じることです。もし、行いや基準に、自分の努力で達することが救いと教えるなら、それは、恵みを否定することになります。誰もが、自分の行いや支払う行為によって救いを達成することは不可能です。しかし、神の一方的な愛により、信仰によって永遠のいのちが与えられ、神の国民とされる。救われるのに値しない者が救われる。それが、神の恵みです。

エペソ人への手紙2章8~9節

2019年2月2日土曜日

早朝の公園礼拝




早朝に都内にある公園で礼拝が持たれます。集まったのは、ホームレスの方々です。寒さの中で集まり、真剣にメッセージを聞く彼らが大好きになりました。都内にある幾つかの教会からの有志たちによって、継続されている尊い働きです。

一人一人抱える問題は異なるでしょう。けれども、彼らには希望があります。なぜなら、イエス様の御名によって集まるなら、それがどの場所であっても、主がともにいて下さるからです。

創世記28章15節