2014年12月31日水曜日

わが足のともしび


2014年も最後の日になりました。

今年の通読は、旧約が三回(それぞれが異なる訳)、新約が4回(新改訳のみ2回)で終了です。クリスチャンビジネスマンの中には、一日16章を通読した方もいます。

2015年も、新たな心でいのちのパンと生ける水をいただきます。
生ける神のことばこそが、人生を導いて下さるともしびだからです。

今年一年、全ての出来事、祈って下さった方々、神の家族、大牧者であるイエス様にすべてを感謝いたします。


詩篇119篇105節

2014年12月27日土曜日

告げ知らせる足


昨年、23年ぶりにバドミントンを再開し、今年は24年ぶりに試合に出場しました。
この年齢で再開するには、かなりの無理がありました。

両ふくらはぎの筋肉部分断裂を経験したため、体重を5㎏落とし、テーピングにサポーターまで施しました。

立ち上がり、前に進むために、足は重要な部分です。

聖書は、福音を伝える足について語っています。
来年も、主と会う日までも、告げ知らせる者として歩んで行きます。

主よ、どうぞ、あなたの力を与えて下さい。


ナホム書1章15節

2014年12月24日水曜日

クリスマスの祝福



15日は道東、23日は中の島でクリスマスの時をもちました。
みんなの表情から、その素晴らしさが伝わるようです。

イエス様が降誕された時、星がその場所に導いてくれました。
真っ暗な夜空に、光り輝く星が見えたのです。
星は、周囲が暗ければ暗いほど、輝きが増します。

この一年には、「悪夢のような」とか「ジョークだろ」と呼べる出来事もありました。

そんな中、イエス様の栄光、主にある希望は、さらに輝きを増すのです。
クリスマス~何と、素晴らしい神様からの贈りものでしょう。


マタイの福音書2章9~10節





2014年12月20日土曜日

カルトの定義


カルトについて、よく質問されることがあります。
カルトという英語、それにあたるフランス語やドイツ語も、元々は悪い意味合いではありませんでした。

しかし、1970年代には、900名以上が集団自殺した人民寺院をはじめ、様々な被害をもたらす、集団、宗教、哲学、運動などに対し、この表現が使用されるようになりました。1985年には、「カルト問題:学者と識者のための協議会」により、定義が採択されました。以下に紹介します。

「カルトとは、ある人間か、観念か、物に対して、過度の忠誠心・献身を現し、非論理的な方法で人を操作したり、高圧的な手段により人を説得したり、コントロールしたりしようとする集団、あるいは運動である(その方法とは、友人や家族から隔離させること、衰弱させること、暗示感応性や服従心を高めるための特別な手段の使用、グループによる強い圧力、情報統制、個性の抹消や批判的な考えの停止、グループに対する依存心やグループを離れることに対する恐怖心を助成することである。)これらの手段は、グループの指導者たちの目的を推進するためのものであり、実際に信者自身やその家族、及び社会に損害をもたらす(あるいはその可能性を秘めている)ものである。」

カルトに共通していることは、マインド・コントロールというテクニックを使い、他者を操作することです。そして、カルトのメンバーは、あたかも自分は変わることが出来た、社会や人間関係を変えられると思い込んでしまうのです。(実際には、思い込まされている)

言葉だけを聞くと、信仰と共通しているかのように聞こえますが、光と闇ほど異質なものです。

真のキリスト者は、新しく生まれ変わり、新しい人生を歩みます。しかし、そこには、明確な、罪に対する解決があります。それは、イエス様の十字架と悔い改めです。

また、何かを変えることが出来ても、それは、真理に基づいています。
真理とは、時代や国、指導者や解釈によって変わることがない、つまり不変であるはずです。
社会には、情報が洪水のように溢れています。
教会が正しい認識を持つ時、確信が増し加わり、主の恵みの深さを実感するでしょう。


コリント人への手紙第二 11章15節

2014年12月13日土曜日

奴隷からの解放


地球上には今日も多くの奴隷がいます。最も多い国はインドです。
その人たちは、人間であるのに売り買いされ、あるいは謝金のために強制労働を強いられています。
日本に奴隷はいないのでは?と多くの人が考えています。

第二サムエル15章で、アブシャロムは心を盗む者であるとあります。
盗まれた人々は、誰が真の王であり、真理は何かが分からない状態です。(罪人の性質と同様に)
日本のことわざにも、一度騙されるのは騙す者の恥、二度騙されるなら騙される者の恥とあります。

イエス様の十字架によって罪と死から解放された人は、真の自由を体験します。
ですから、真理と御霊によって人生を歩めるのです。

今日も、主に感謝します。


ガラテヤ人への手紙5章1節

2014年12月11日木曜日

反ユダヤ主義


反ユダヤ主義が世界的な拡がりを見せています。
世論調査会社(ファースト・インターナショナル・リソーシズ)が101か国で行なった調査では、約26%が否定的見解であるという結果が出ました。

ユダヤ人に好意的は38%、そうでないが21%でした。参考までに、イスラム教に好意的は47%、そうではないが24%、クリスチャンに好意的は62%、そうではないが15%、ヒンドゥー教徒に好意的は45%、そうではないが18%、仏教に好意的は53%、そうではないが14%という数字でした。
あくまで一つの調査結果であり、この数字には様々な理由があるでしょう。

しかし、大きな意味では、聖書が預言している通りに時計の針が進んでいます。
キリスト者は、親イスラエル・反イスラエル論争に捕らわれずに、真理のみことばに立ち、中東に目を向け、イスラエルの平和を祈ります。


ゼカリヤ書12章3節

2014年12月5日金曜日

親を敬うこと


とても悲しい事件がありました。
今年2月以降、三歳の女の子が十分な食事を受けずに、6月15日に短い人生を終えました。顔や頭には打撲の痕もあり、両親が暴行が加えていた可能性もあるようです。
近所の住民は、ベランダで「ママ、入れて」と叫んでいた様子を目撃していました。

この娘は、両親を敬っていたから、虐待され続けたのではありません。
幼く、依存しなければ生きられない存在だったためです。

日本でも、幼児期に虐待された傷跡に悩んでいる人が多くいます。
このような場合、人の意志の強さで敬おうとすることは、逆効果です。

新しく生まれ変わり、過去の記憶が癒される必要があります。
また、日々、聖霊によって内側から変えられていくのです。

真に敬う思いとは、「主にあって」初めて可能となります。


エペソ人への手紙6章1~3節

2014年12月3日水曜日

ストレスと思い煩い


いかなる時も、ストレスが悪とは言えません。
ただ、そこから、思い煩い~拒絶感~孤独~自己憐憫にとらわれるなら、悪いものです。なぜなら、思いを自分だけに向け(キリストではなく)神の恵みを見失うからです。

問題のない人生はありませんが、解決できない問題もありません。
夜になり、闇に覆われない日は無いけれど、朝になり、光が昇らない日もないのです。

何と素晴らしい神の恵みでしょう。


詩篇23篇6節

2014年11月21日金曜日

自然の美しさ


定期的に神戸に行っていますが、いつもの定宿が満室でした。

それだけではなく、大阪、京都もほとんどのホテルが満室です。兵庫県内で探すと、姫路なら空室がある状態でした。

ほぼあきらめかけていましたが、淡路島があることに気づきます。

一室だけ空室がありましたが、何と、ホテルへの交通手段は一時間に一本のバスのみでした。

久しぶりの淡路島でしたが、目がさめるような美しさでした。
この朝日を見ることが出来ただけで、淡路島に宿泊して良かったと思います。

主よ、あなたの御手のわざは、何と美しいのでしょう。


詩篇24篇2節

2014年11月18日火曜日

欺く者


人はどのようにして、また、どんな人物に欺かれるのでしょう?
見るからに信頼できない人に欺かれる人は、まずいないでしょう。

クリスチャンは、人を疑いの目で見たくはありません。信頼したい、あるいは欠点よりも良い点に目を向けるのが普通です。

しかし、クリスチャンを名乗って親しいと思っていた人、また、育てた、あるいは助けていた人なら欺かれることもあるでしょう。

それが、現実です。

そんな時には、真のキリスト者は、イエス様を想うのです。

選民の手により十字架にかけられ、弟子たちでさえ、見捨てて逃げ去りました。

しかし、それでも愛して下さいました。

それでも、ミッションは果たされたのです。


オバデヤ書7節

2014年11月15日土曜日

主は、道を教え


人間には、明日が見えません。それどころか、1時間、1分先さえ分かりません。

自分が進む先に何が待っているのか、それが正しい道なのかをどのようにして知ることが出来るのでしょう?

それは、主に道を教えられて、その導きに従うことです。


ミカ書4章2節

2014年11月12日水曜日

季節が変わる時


今年の札幌は、例年より早く雪が降り、スタッドレス・タイヤへの交換も早めに行いました。
季節が変わる時、自然界では様々な変化があります。冬眠する生き物や渡り鳥など、それぞれが備えます。
では、人間はどうでしょう。

札幌市民は、タイヤやスノーブレードの交換、衣類や靴を冬用に替え、暖房機器も準備します。それらは、生活に必要な物質に頼る準備と言えます。

しかし、自らを冬に適応させるための準備はどうでしょう。
柑橘系の香り、意識して日光にあたること、体を動かす習慣など、出来ることはたくさんあるはずです。
しかし、自らは何もせず、お金や物質に頼るなら、それは依存と似ています。

人には、神から与えられた優れた知性があるはずです。
日本人は、教室で暗記した知識より、神からの知恵を、もっと用いるべきではないでしょうか?

主よ、あなたの知恵は何と深く大きいのでしょう。


箴言9章9節

2014年11月9日日曜日

地でも行われますように


24年ぶりにバドミントンの大会に出場しました。シングルスの練習はせずに、ぶっつけ本番で臨みました。

低いクラスではありますが、優勝することができました。
競技を離れた頃を少しだけ思い出します。当時は29歳で、体力が急激に衰え、それだけではなく、自分が罪人だと認識し、人生の中で最も暗い(と思っていた)時でした。辞めたいけれども決断できず、喜びがなかったことを記憶しています。

もう2度とプレーすることはないと思っていました。あることがきっかけとなり、昨年、教えるためにラケットを握りました。
プレーし始めた時、自分の体とは思えないひどさでした。その疲労たるや、初心者だった頃以上かもしれません。けれども、再開することが主の導きだと理解できたためか、とてもすがすがしい気分でした。

そればかりか、あることが示されました。
この目に見える世界において、キリスト者はどこで輝くのでしょう?
ビジネス、学業、政治、音楽、そしてスポーツと、あらゆる分野でそれが可能であるはずです。今後も大会に出るのがご計画なのかは、自分自身、今は分かりません。

しかし、この体験を通し、御霊なる主が示して下さったことは、人生の宝です。
主の恵みは、数え切れなく、この先も続いて行きます。


マタイの福音書6章10節

2014年11月6日木曜日

湖の美しさ


道東に行き続けて、かなりの年数になります。今年は、初めて定宿が満室、町内の宿泊先も満室となりました。やむなく、車で45分ほど離れた屈斜路湖畔のホテルに宿泊しました。

正直に言うと、ホテルのサービスや食事、どれをとっても今一だったのですが、部屋からの光景に見とれてしまいました。人の全ての業に勝る、創造の美しさでした。
窓から見える湖の美しさ、これだけで、また、このホテルに宿泊したいと思っています。

ああ、ガリラヤ湖が見てみたい。


ヨシュア記13章27節

2014年11月4日火曜日

2種類の預言者


真理のみことばに敵対する異端があるように、神が立てた預言者と異なる預言者がいます。
救い主が来るという、旧約時代からの預言は、神のことばが人となった時に成就しました。
救い主が来ることと、バプテスマのヨハネが語った内容はセットされています。(マタイ3章)
つまり、救い主が来たのは、人が罪を知り、赦しを受け取るためでした。
それは、アダム以来、神と人類の破れ口を修理し、イスラエルの家を築くという役割でした。

しかし、異なる預言者は、罪を明らかにしないどころか、平安がないのに平安という始末です。

ここに、新しい契約に生きる私たちが知るべき大切なことがあります。
クリスチャンは、正しいからではなく、赦されたから救われた者であるという真理です。

今日も、神の恵みに感謝しましょう。


エゼキエル書13章2~5節