2013年10月30日水曜日

朝の散歩~釧路川


 
月に一回、釧路川沿いを散歩する機会があります。

青く広い空と澄んだ空気の中で、あっという間に時間が過ぎていきます。

主とともに住むことは、神の国に住むときは、どれ程、素晴らしいのでしょうか。

 
詩篇27篇4節

2013年10月20日日曜日

悪魔でもいいから・・・


10月14日、『世界ナゼそこに?日本人SP「感動!衝撃!秘境で暮らす日本人妻特集」』という番組が放送されました。

国際結婚をして、中東のレバノンで47年間暮らしている日本人女性が紹介されました。
この方が、「誰でもいい。どんな人でもいい。悪魔でもいいから戦争をとめてほしい。」と訴える場面がありました。

彼女の心情も無理はないと思います。
世界は、絶え間ない紛争や、耐えがたい現実から、このように考える人が増えて行くでしょう。そして、666は、地球上で最も大きな権力を得て、治めるように見せかけるはずです。

しかし、悪魔は光ではありません。必ず、闇は光に敗北する日が来ます。
人類は、最終的な勝利を収めて下さる方を信じる必要があるのです。


ヨハネの手紙第一5章4~5節

2013年10月15日火曜日

異端の教え3 正当化される嘘


 
異端やカルトには、~のためにつく嘘は嘘ではない、という思考があります。

真実でないことを意図的に語り、自らを正当化するというロジックです。

 
そのために、「長男であったエサウの権利を得るため、弟ヤコブがイサクをだました」創世記の箇所を引用します。

 
この箇所は、神が嘘をつくようにしむけたのでしょうか?

神は嘘を喜ばれるのでしょうか?

 
主は、母リベカの胎にいる時すでに「兄は弟に仕える」と語っています。

また、エサウは長子の権利より、ただ空腹を満たすことを選択しました。

なぜ、ラケルは「のろいを受けても」と語ったのでしょう。

なぜ、兄と再会する時に、ヤコブは贈り物を用意し、七回、地に伏したのでしょうか。

 
私たちにも、このようなことはないでしょうか?

他の人との和を乱さないために~。

ぐずっている子供をなだめるために~。

自分の責任を免れようとするために~。

痴呆症になったお年寄りを説得するために~。

 

しかし、嘘はあくまでも嘘です。

人の怒りが神の義を実現させないように、嘘を正当化しても神の栄光とはなりません。

 
神は、このような愚かなまねをしたヤコブを退けはしませんでした。

人がどんなに失敗しても、神の恵みと慈しみは変わることがありません。

 
主が求めているのは、誠実な心、また、罪を犯した時に悔い改める心です。
 
 
ホセア書6章6節
 
 

2013年10月11日金曜日

金沢駅にある教会


 
金沢こころチャペルは、金沢駅地下道と直結の教会です。

素晴らしいのは、立地条件だけではありません。

 
ここは、心の傷ついた人、疲れた人が神の愛を体験できる場所です。

メッセージの奉仕をさせて頂きましたが、浜原牧師の歌声のように、明るく、元気が出る礼拝でした。

 
新しく生まれ、回復された人々が、ここ金沢でキリストの証人となっていくことでしょう。

 イザヤ書42章3節
 
 

2013年10月8日火曜日

北海道希望のフェスティバルがキック・オフ


 
10月6日に北海道希望のフェスティバル・決起集会が行われました。

 レーナ・マリアのユー・レイズ・ミー・アップには、主の深い愛に涙し、アルフィー・サイラスのAWESOME!な歌声に、会場は感動に包まれました。

 そして、メッセージの中でも語られた「今まで、一致することが難しかった教会」が福音のために一つとなる機会が与えられようとしています。

 来年5月、会場となる「きたえ~る」に、主の希望が満ちあふれることを祈ります。

 ペテロの手紙第一 1章3節 

2013年10月5日土曜日

FGB富山


FGB富山でミニストリーをする機会が与えられました。

音楽の世界では、よく枯れたサウンドという表現を聞きますが、ここでは、枯れた(味わい深い)賛美が捧げられていました。

社会人の男性が、共に祈り親交を深め、職場で主に仕えていく。
このFGBの素晴らしさを富山でも再確認し、主をほめたたえました。
(毎月、富山と金沢のクリスチャンが教派を超えて集います)
FGBでは、年3回のキャンプを行いますが、今年11月には富山で開催されます。

主は、日本のビジネスマンに油を注ぎ、変革を起こそうとされています。


へブル人への手紙6章1~2節

2013年10月3日木曜日

少年Hに想うこと


昭和の戦時中、神戸に生きた一家族の物語です。

主役である少年Hの自伝であり、母は、熱心なクリスチャンのようでした。
知らされないまま、戦争が近づいてくる不気味な雰囲気が伝わってきます。

当時の資料として、神戸インマヌエル基督教会が(映画では他教会でしたが、少年Hが集った教会)日本基督教団(戦時中に日本国政府の管理下におかれた教団)に変わったことが説明されていました。
当時の信者(少なくとも少年H家族)は、少数派で監視下におかれたことにより、情勢に溶け込み、周囲との和を保とうとします。

敗戦が決まり、それまでの大人と社会がガラリと変わることに、少年Hは何も信じられない心境に陥ります。
日本での教会のあり方や、なぜ、クリスチャンが少ないのかを理解する助けとなります。

製作メディアは、さりげなく印象操作も取り入れています。(さすがにプロは上手です)

印象に残ったのは、親が少年Hに対して、見たことや体験したことを忘れずに残すように諭す場面でした。


教会は、純粋な信仰を継承する使命があることを考えさせられる映画でした。

ペテロの手紙第一2章1~2節