2019年1月28日月曜日

キリストイエスに対する信仰




高級レストランで、一流のシェフが美しいワイングラスに、ワインを注ぎました。プライベートジェットに乗る裕福層の男性は、こう言いました。「素晴らしい!そして初めての味わいだ。ところで、どこのワインでどれくらいの値段ですか?」シェフは、答えました。「下町のリカーショップで1000円もだせば、お釣りがもらえます。」

人間は五感に頼るため、だましたりだまされたりすることが避けられません。やっかいなのは、自分は神を信じていると言いながら、五感だけを頼りに生きる人たちです。

一世紀の教会は、イエス様から直接あるいは(真の)使徒たちから教えられました。

そして、人の学問・解釈・宗教ではなく、聖書と聖霊様がイエスキリストへと導いて下さることを知っています。まさしく、それこそが神の知恵なのですから。

テモテへの手紙第二3章13~15節

2019年1月22日火曜日

現代と異端2


異端の定義2番目は、聖書が真理のみことばであるか否かです。

通称統一協会は、旧約聖書と新約聖書は、成約の時代において原理口論が無ければ、理解できないと主張します。また、末日聖徒キリスト教会は聖書以上に、モルモン教・高価なる真珠・教義と聖約が重要であると教え、通称エホバの証人は、14万4千人から選ばれる統治体の発表する解釈と書物を信じます。(当然、時代によって解釈はころころと変わります)
その他多数が、独自の解釈やテキスト、システムを用います。それは、聖書が神の霊感によるというみことばとは相いれない教えです。つまり、自分が所属する組織のみが唯一正しい(異端)、他より正しい(バイブルカルト)という共通した概念です。それは、聖書よりも人の解釈が優れているという究極のヒューマニズムであり宗教です。

仮に、無人島に一人でたどり着いたとしても、聖書(と聖霊様)で救われ、生かされるのが真理のみことばです。
イエス様自身が、律法(トーラー)と詩と預言者がわたしについて書かれていると言われました。ヨハネの福音書には、「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。」とあります。

どんな人が、「これは、新しい時代の新しい啓示だ。」と言ったとしても、それが、聖書に反するなら、真理では無く、聖霊様からの啓示でもありません。
キリスト者には、聖霊様が啓示し、語り、解き明かして下さる真理のみことばが与えられています。

テモテへの手紙第二3章16~17節

2019年1月16日水曜日

現代と異端1




正統の反対を表す言葉です、つまり、キリスト者に対し似せてはいるが非なる者のことです。

聖書を使用している、キリスト教に見える、クリスチャンと名乗ってはいるが、霊の本質が異なる集団が多く存在しています。イスラム教徒やヒンドゥー教徒を異端とは呼びません。それは、異教だからです。初めに、何をもって正統あるいは異端とするかの判断基準を知る必要があります。第一は、イエスキリストが子なる神であり、救い主であること。

キリスト者という表現は、アンテオケでそう呼ばれたものです。それは、キリストを信じ、キリストに祈り、キリストを賛美し、キリストに従い、キリストを待ち望み、キリストに人生を捧げ、キリストのために迫害され、それでもキリストにあって喜んでいたからです。他者から見ると、キリストと離れられない、一体となった者を意味しました。



これに対し、神の被造物であり天使長、もとは人間だった神々の一人、人類救済に十字架で失敗した、古事記や日本書紀に基づく等、様々な別のイエスキリストを伝える集団がありますが、それらが異端です。もちろん、神のみこころは、今異端と呼ばれる集団にいる人も、心の覆いが取り除かれ救われることにあります。



コリント人への手紙第二11章4節

2019年1月12日土曜日

人生を捧げる




この日、この教会では7人がひざまづき按手を受けました。

主に人生を捧げる決心をしたのです。

広い意味では、クリスチャンは、信仰を告白するする時に、自分を捧げています。

過去、自分の人生は自分のものでした。自分の主も自分自身でした。

しかし、「イエスは、主です。」と告白した時、イエス様が、人生の主人となって下さいました。この7人は、神様の召し(コーリング)に対して、どんな犠牲も払いますと決心した時でした。とても美しい瞬間です。

ローマ人への手紙12章1節

2019年1月5日土曜日

宣教命令




イエス様は、弟子たちに命じられました。全世界に出て行き、すべて造られた者に福音を伝えなさいと。地球上で、一番未信者が多い国はインド、次いで中国、インドネシアになります。ある国は大切で、ある国がそうではないという意味ではありません。しかし、世界宣教という視点で見る時、これらの国が重要なのは疑う余地もありません。観光やセミナーで海外を訪れるのも良い体験になりますが、日本の教会が海外宣教するのは、もっと素晴らしいことです。世界中に、日本の自動車や食品、家電が広まっているのは、日本人ビジネスマンが出て行っているからです。スポーツの世界でも同じことが起きています。次は、クリスチャンが出て行く時です。

マルコの福音書16章20節

2019年1月1日火曜日

ようこそ2019年




人は、母の胎で命を受け、産まれてきます。人の人生は、偶然の産物ではありません。

命と神の計画が、共に人生が与えられています。

栄光が宮で満ちるように、胎内で身ごもり、時が来ると栄光が現わされるように、出生するのです。まだ、自分の人生にある神の計画(それは、主の栄光を現すものです)が、実現していなくても、出産を待つマリアのように、信じてこの年を歩んで行きましょう。

ルカの福音書1章45節