2013年11月30日土曜日

神の祝福


ここは、主の祝福が満ちる場所です。

開拓を始めてから、毎月、洗礼を受ける人が続いています。

開拓して一年ですが、10名以上の献身者と神学生がいます。

ビジネスマンが救われ、人生が変えられています。

難病から奇跡の回復が与えられた人がいます。

深夜から朝まで、賛美と祈りを捧げる人がいます。

イスラエルの神が祝福されると、何と素晴らしいことが起こるのでしょうか。


第一歴代誌4章10節

2013年11月24日日曜日

見捨てることはない


この猫たちの飼い主は、引っ越してしまいました。
そして、この家は取り壊して更地になるようです。

私たちは、様々な理由を挙げることが出来ます。
引っ越し先は生き物を飼うことができない。
高齢になって世話が出来ないから・・・。

かくも人間は、自己中心にしか考えられない生き物なのでしょうか。
十字架上で、救い主の口から出たことばです。
「わが神、わが神、なぜ、わたしをお見捨てになったのですか」
本来、見捨てられる必要が無い御方が私たちの身代わりとなって下さいました。
木にかけられ、刑罰を受ける必要がない御方が私たちの身代わりとなったのです。

寒さが厳しくなる前にと、この猫たちのために祈りました。
一週間ほどたって、近所の方がバケットを持ってきて、その中に猫たちを入れて連れて帰りました。

主なる神は、決して見捨てることがない御方です。


詩篇22篇1~2節

2013年11月19日火曜日

父親の手術と合併症




合併症とは、ある病気(または症状)の影響により、さらに病気(症状)が起こることです。
日本の教会は、霊的な合併症に注意が必要です。

 
ある人たちは、弟子訓練や教会成長に対し、常に批判的です。

そこに加え、ネット上でクリスチャンのスキャンダルを暴くサイトを見続け、さらに、神学上の誤りを指摘する本やセミナーに出会うとします。

その人の思いの中では、全てを結び付け、苦々しい思いにとらわれてしまいます。

その上、決まり文句のように、愛がない等と付け加えます。

 
しかし、弟子を育てるようにと教えたのはイエス様御自身であり、多くの人が救われるなら、結果として教会が成長するのは当然のことです。

また、神の愛は、自分を正当化することでも、他者から要求するものでもありません。

混乱している人は、聖書を批判していることすら理解できない状態になってしまいます。

 
もし、弟子訓練という名のもとで、問題を起こしたなら、当事者が批判されるべきです。

教会成長という名のもとで、聖書から逸脱したなら、その原因が取り除かれるべきです。

 
けれども、愛がないと批判する人は、まず、自身が神の愛に満たされる必要があります。

それを何かに転換しても、ますます問題は深まるばかりです。

 
信仰の量りや価値観、使命は人それぞれです。共有できないことを理由に、人間関係を破壊し、人々につまづきを与えるなら、それは、罪をおかしていることにならないのでしょうか?

 
現在、僕の父親は、膀胱がんと足の血行障害、その他、複数の病気を抱えています。

今週21日に受ける手術にも、大きな影響があります。

一方の治療をしようとすると、もう一方の治療に影響が出て、医師を悩ませます。

それが、どれ程父親を苦しめているかを見ています。

 
日本のクリスチャンも、天の父の心を痛めてはいないでしょうか?

 
その病状がどんなに深刻でも、主はいやし主です。

主イエス様にこそ、すべての解決があることを信じましょう。

 
出エジプト記15章26節

2013年11月16日土曜日

大好きな場所 ロイヤルホスト


ここ平岸店は、信仰を持った後によく一人で利用していました。
24時間空いていて、コーヒーのお替り自由という貴重な場所でした。

キリスト者になってから、大好きな場所は増える一方です。
なぜなら、あそこには行きたくない、あるいは、思い出したくないという場所がなくなるからです。
その時々に体験した、神様の恵みは、人生を豊かにしてくれるアルバムのようです。


ヨシュア記4章4~7節

2013年11月10日日曜日

ティーンチャレンジの木崎ディレクターが来札


天に召されましたが、敬愛するデヴィット・ウィルカーソン師が始めた働きです。

依存症に苦しむ人を更生させる。これは、最も難しい社会問題の一つです。

真理はあなたがたを自由にします。何と力強いことばでしょうか。


ヨハネの福音書8章32節

2013年11月7日木曜日

ため息に「シャラップ!」


9月に開催されたテニスの東レ・パシフィックオープン2回戦に、伊達公子選手が登場しました。
第一セットを落とし、後がない伊達選手でしたが、観客の「あ~」というため息が続き、思わず「シャラップ!」と叫んでしまいました。

結局、敗者となったインタビューで、「ため息のたびに、力が失われていく」と語っていました。

ため息は、がっかりした、あるいは期待はずれの時に出てしまうものです。
一般的に、日本人は、人の欠点やミスに、つい目が向いてしまう傾向があります。

しかし、神様は、あなたの度重なる失敗にため息をつく御方ではありません。
計り知れないほどの寛容さを持って、あなたを見守って下さるのです。

神の寛容さを体験した人は、誰かが失敗や落胆をする時に、励まし、声援を送る存在になることでしょう。
今日も主に感謝します。


ピリピ人への手紙4章5節

2013年11月4日月曜日

海鮮茶わん蒸し


ある方から、結婚記念日のプレゼントとして、温泉旅行チケットを頂きました。
それは、とてもぜいたくな時間となりました。
夕食が、これでもか!という程の量(美味)でした。

ホテル名物のビーフ・シチューの後に、茶わん蒸しが出てきました。
たくさんのご馳走の後で、やや、拍子抜けしましたが、これがとても美味しくいただけました。

日本人の探究心ときめこまやかさに、改めて感心させられました。
また、前菜からデザートまで、仕事に対する心遣いはすごいものです。

もし、この国が主のためにこの情熱を注いだなら、どんなことが起こるのでしょう。
温泉でも祈らされる時となりました。


マルコの福音書12章30~31節

2013年11月1日金曜日

ノルウエーからレイテ牧師が来札


十数年間、埼玉県で宣教師として働いたHレイテ牧師が、札幌を訪れてくれました。
彼と長い親交を持つ和田さん親子とも、久しぶりに再会できました。

レイテ師が帰国して、すでに十数年経ちますが、今でも日本語でジョークが飛び出します。
彼の証から、主の奇しい御業と日本伝道への情熱を感じる素晴らしい夜となりました。

どんなに遠くに住んでいても、神の家族は本当に良いものですね。


エペソ人への手紙2章19節