2019年8月30日金曜日

部品の一部と人の尊厳



経営コンサルタントの方が指摘する企業が衰退するパターンです。
自分の知らない所で、会議にかけられ数字によってはかられ、呼び出される時は、連絡がある時。それは、命令であり、表情と声は柔らかくふるまっても、絶対的な上下関係があります。経営者や上司は、社員がこの会社に対して満足していると思い込みますが、服従する側の社員や部下は、選択権がないため妥協しているだけです。そして、このような企業は、ある一定の規模になった時に、優秀な社員を失い、機会の部品のように人を扱うことを繰り返し衰退していきます。
人と人の関係とは、あなたに関心を持っている、お互いを知りたい、時間を共有したい、共感したいことから成り立ちます。一人一人が、いかにこの企業にとって重要な存在かを感じ、社員もこの仕事と環境に共感する時、この企業は強固な基盤を持ちます。つまり、人を人として扱う企業になるということです。アメリカのファーストフード・チェーンには、クリスチャン経営者が、聖書の原則を実践している会社があります。そして、毎年、従業員が選ぶ働きやすい環境の上位にランクされています。企業のために人が存在するのか、人のために企業が存在するのか、業務連絡だけの関係か、人と人との関係か?神様も人も見ています。
マルコの福音書2章27節

2019年8月27日火曜日

キャンプ



教会でキャンプを企画してくれました。普通に仕事をしている女性が、僕とみんなのため準備してくれました。清里は、標高が高くとても涼しい場所でした。バーベキューをするために、炭に火をつけようとしますが、なかなかうまくいきませんでした。そうすると、キャンプに来ていた人が、バーナーを持ってきて手伝ってくれました。そして、夜遅くまで、分かち合い祈る時を持ちました。現代人が、自然の中で生活するのはいかに大変かが分かり、人の親切な心にふれ、神の家族で時間を過ごす、何よりも神の創造した自然を楽しむことができました。人は自分の能力では、自然や環境を変えることはできません。けれども、どんな環境の中でも、主を身近に感じることはできるのです。主の偉大さ、その息吹、すべては喜びであり祝福です。
詩篇133篇1~3節

2019年8月14日水曜日

侮られない御方




7月23日、世界水泳選手権男子での出来事です。二百メートル自由形の表彰式で、銅メダルを獲得したダンカン・スコットが優勝した孫楊(中国)に対して抗議の意思を示し、表彰式での握手と撮影を拒否しました。怒った中国選手は、腕を上げて近寄り、「お前は、負け犬だ!」と近づき威嚇した動画がインターネット上で流れました。

抗議の原因は、過去に孫選手がドーピング検査(禁止薬物検査)で、自分の血液サンプルを金づちで破壊したことです。それは、会場とテレビで観戦している人には知られない場所ででした。

薬物検査での違反が確定した場合、大会への出場停止というペナルティが課せられます。

それにも拘らず、なぜ、この選手は大会に参加できたのでしょうか?

それは、中国の政治的な圧力と、スポンサー、つまりお金の力です。

競技の公平性と崇高さ、そして富の誘惑の両方を手に入れることはできません。

このことはクリスチャンにとっても、重要な教訓になるでしょう。

人目につく場所や、ステージからどんなに良いことを語っても、神は侮られる方ではありません。神様と富や名声の両方に仕えることができないし、主は、その動機まですべてご存じです。
ガラテヤ人の手紙6章7~8節

2019年8月10日土曜日

光よあれ




突然、国の最高権力者の顔が、各テレビ局を独占し「今から、数時間後に、紙幣が使えなくなる」と語り、多くの自殺者が出る。滞在中の外国人の札は紙くずと化す。突然、隣国の支配地域に報復の空爆を実行し、全てのフライトは延滞し、ある航空会社は運航を中止、機内への荷物持込ルールも変更され、これも全て安全のためとされる。一方では、海外から来たTVキャスターの白人女性が、取材中にも拘らず、姓暴行を受ける。被差別民は、毎日、暴行され殺害されるが、警察も司法もアンタッチャブル。交通事故、狂犬病、破傷風による死者世界最多、孤児と物乞いの多さも同様。都市別大気汚染ランクでは、世界1~7位まで独占し、それが原因で年間200万人が命を失う。このような現実があるにも関わらず、「美しい国・神秘的な国」と広告し、観光を促進させる政府と旅行業者たち。人の罪は、責任とは何か、良心とは何かを分からなくさせてしまいます。しかし、それでも天の父は、この国の国民を愛し、救いに導こうと働かれている。それは、カオスに光が差されたと記される聖書が、真理であることを証明しています。

創世記1章3~4節

2019年8月7日水曜日

義理父との時間




初めて、義理父が、僕たちの住まいに泊まりに来ました。父親は、野球の試合を楽しみにしていました。横浜中華街やみなとみらいなど一緒に行くことが出来ました。このような関係は、とても大切であると考えています。

日本でよく見られるのは、互いに依存し合うが、愛という絆が無いケースです。

そして、父親は、初めて横浜の礼拝にも参加しました。

僕たちが結婚する時、いづみの家族は全員が反対していましたし、僕に対して悪い感情を持っていました。けれども、相手がどう思ってもそれは問題ではありません。

クリスチャンとして、神様の前で隣人に対して正しく接するだけです。それを、神様を知らない人が、認めず理解できなくても気にしません。神様の愛は、見返りを求めず与えるものであり、罪の力を凌駕することを知っているからです。

箴言10章12節

2019年8月5日月曜日

横浜での洗礼




横浜で、初めて洗礼がありました。この日、洗礼を行ったのは、僕ではなく日下部さんです。

日下部さんは、元エホバの証人であるなおこさんを導きました。彼が、自分で洗礼を授けるのはこの日が初めてでした。あるクリスチャンから、なぜ、僕が授けないのかと質問されました。新約聖書には、牧師以外が洗礼を行えないとは、一度も書かれていません。元々、今日の牧師制度なるものも存在していません。この事実が、いかに今日の教会が、ギリシャ・ローマ化の影響下にあるかを物語っています。新約聖書は、イエス様が天に昇られた後、聖霊様に導かれた使徒を中心に書かれています。しかし、使徒パウロでさえ、洗礼は、キリストの名によるものであり、いつも自分が洗礼を行っているのではないと語っています。現代の教会の伝統と、聖書に書かれていることのどちらが真理なのでしょう?チャーチオンザロックミニストリーでは、年間650名以上が洗礼を受けていますが、僕が授ける人は十人以下です。そして、そのことを神に感謝しています。




コリント人への手紙第一1章14~16節

2019年8月1日木曜日

祈りが聞かれた時




7月31日に翔太君と桜子ちゃんが洗礼を受けました。10年以上前に、母の秀子さんが受けたのと同じ場所でした。10年以上の母の祈りが聞かれた日です。主は、いつも良い御方です。そして、二人の生まれ育った弟子屈町には神のご計画があります。

ヨブ記22章27節