2011年4月25日月曜日
選択の自由
台北のホテルでベッドサイドの引き出しを開けると、3冊の書籍がありました。
その場で、このホテルに宿泊する人が聖書を選択してほしいと祈りました。
僕には、他の2冊を除外する権限がないからです。
中国や北朝鮮などの国では、自分の意志で選択する自由がありません。
また、多くの国では、信教の自由があるといいながら、選択肢が制限されています。
では、日本はどうでしょうか?
義務教育やマスコミによって、進化論やマルクス・レーニンなどの共産思想が教えられ、聖書に対しては、高等批評等の見解だけが与えられたなら・・・。
結果は、中国や北朝鮮、ロシアと同じように、自ら考える能力が育つ前に、無神論者を育てることと同じ効果をもたらすでしょう。
僕は、誰でもまっさらな状態の時、神を求める心を持っていると信じています。
だからこそ、無神論の人々は、イエスキリストと聖書を封印したいのでしょう。
しかし、どの時代、どの国であろうと、自由意志と探究心、創造する力があるからこそ、人間なのではないでしょうか?
ローマ人への手紙 1章19節~20節
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