2010年8月26日木曜日

義に飢え渇く者


インドネシアは、世界最多のイスラム人口を有する国です。
これは、様々な面でキリスト者がプレッシャーにさらされることを意味します。
そのような状況で、人口の10%以上の人がキリストを信じているのは驚くべきことです。

信教や伝道の自由が保障されているが、1%未満の日本との違いは何でしょう?

インドネシアに向かう機内であることを目撃しました。
僕たちの隣に座った女性が、機内食を食べ終わると、その皿やスプーンを自分のバッグに詰め込みました。
CA(客室乗務員)が、食器を回収しにきたのですが、隣の女性は何くわぬ顔で空のトレー(おぼん)だけを返したのです。
そうすると、CAが面倒くさそうに、「はやく、返しなさい」と言いました。
隣の女性は、しぶしぶ、自分のバックから食器を出しました。
すると、CAは「スプーンとフォークもあるでしょう」と言い、すべて回収すると何事も無かったかのように行ってしまいました。

これは、ひとつの事例ですが、様々な場面で遭遇するこの国の日常なのです。
つまり、この国の人々は、どんなに宗教に熱心であろうと、自分の内には完全な義が存在しないことをいやと言うほど、知っています。

その内側にある飢え渇きこそが、人々をキリストのもとへ導く源なのです。
そして、救い主だけが、罪を赦すという恵みによって、人を義とすることができるのです。

日本人ほど人眼を気にする国民は、まず存在しないでしょう。
表面をどれ程装ったとしても、それはいちじくの葉(創世記3:7)に過ぎません。
日本人に必要なのは、彼らのように純粋で、幼子のような心なのかもしれません。

マタイの福音書5章6節

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