6月27日に関口君が洗礼を受けました。
彼にとっては、異教や異端での体験も、救い主と出会うための養育係となりました。
水から上がった時の興奮、周りにいた人々の喜び、誰もこの瞬間を忘れることはないでしょう。
洗礼は、古い自分に死んで、新しく生まれたことを公に証しする時と言えます。
それでは、彼は誰に対して証しを行ったのでしょう?
それは、神に対して、御使いに対して、その場にいた人々に対して、それだけではありません。
悪魔に対してもこう宣告したのです。
「私はキリストにつく者となった。これからの人生は神様のものである。」
ガラテヤ人の手紙3章27節
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