2010年2月20日土曜日

心の目が開かれる時


札幌市内で遭遇した出来事です。

老夫婦が並んで信号が変わる時を待っていました。

まだ、赤であるにも関わらず、ご婦人がうつむきながら渡ろうとしました。
ご主人が引き止めて、「どこに、目をつけている!」と言ったところ、「いやあ、もうずいぶん待ったので青だと思った。」と、こんな会話がなされました。

この信号は時差式の信号で、自動車の進行を2回待った後で、両方向の歩行者が青になります。
もしやと思い、見ていたのですが、やはりご婦人が渡り始めました。
僕が、「まだ、赤ですよ。」と腕を掴んで止めたと同時に、「おまえは、死ぬ気か!」とご主人がどなりました。
ご婦人が理解できないようで、「わたしは、待ったでしょう!」と言い返しました。
そうすると、「お前の眼は、ふし穴だ!」と怒り出しました。

~盲信~ 人は、自分は知っている、正しいと思いこむ時に大切なものが見えなくなるものです。
サウロもそのような体験をしました。
自分の宗教知識と与えられた権限によって教会を迫害したのです。

これは、アダム以来、全人類が引継いでいる性質が原因です。
アダムとエバは、自分の目で見えると思った瞬間に、自分がどのような状態なのか、神がどのようなお方なのかが、見えなくなりました。

現代に生きる私たちクリスチャンも(たとえそれが常識や最先端のものであれ)知らず知らずのうちに神以外のものに心が囚われてはいないでしょうか。
私たちは聖霊によって、心の目を開いていただくことが必要なのです。        

                エペソ人への手紙1章18~19節

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