2010年9月15日水曜日

信仰と過信


みなさんは足利(あしかが)事件を憶えているでしょうか。
この事件は、冤罪について、捜査方法について、DNA鑑定について様々な物議をかもしだしました。
1991年に逮捕され、2009年に釈放されるまでの時間を失った菅家さんと、1990年に女児を失った遺族双方にとって悲しい出来事でした。

人間は、自分の判断や学術的な見地を、絶対と思うことがあります。
今回の事件は、幾つかの過信が重なった悲劇と言えるでしょう。

本当の信仰とは、目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、心に思い浮かんだことのないものであり(Ⅰコリント2:9)それを示して下さる方も、この世は受け入れることができない(ヨハネ14:17)のです。

教会も、人間の解釈や神学、目に見える組織等に信頼する時、同じ過ちを犯すことを歴史が証明しています。
私たちが、どんな場面、どんな時代にも、「主よ、お語りください。」と心から求めるなら、主は教え、導いて下さる御方なのです。

神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強い

コリント人への手紙第一 1章25節

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