2010年6月6日日曜日
行いの伴う信仰
写真の奥山実師(宣教師訓練センター所長)は78歳ですが、今でも国内外を飛び回っています。
今年の3月に、エジンバラ100周年記念世界宣教東京大会がありました。
奥山所長は、この大会の会長でした。
このような国際的な大会の前週に、彼は札幌に来ていたのです。
僕はこの大会には参加しませんでしたが、その準備がどれ程大変なのか、どれ程大きな責任を抱えていたのかは、間近で見ていました。
記念すべき100周年の大会が日本で開催された経緯ですが、昨年、天に召されたラルフウィンター師の口から「主は日本に導かれている」という言葉がありました。
その会議に出席していた奥山所長は、その場で「はい、引き受けます」と答えたそうです。
通常、日本人は自国に持ち帰り、役員会議を開き、予算やら会場やら議論を尽くしてから返答するものです。
つい先日、この国の首相が辞任の会見を行いました。
選挙前に語っていたマニュフェストとは一体何だったのでしょう?
ただ票がほしいからなのか、それとも、理想は描いていたが現実には理解していなかったのか、真意はうやむやなままです。
言葉や公約は立派に聞こえ、ある人々は期待を寄せたことでしょう。
しかし、結果はみなさんがご承知のとおりです。
奥山所長の進め方に、賛否両論があるでしょうが、彼は行動し実現しました。
また、所長がまだ若い頃、インドネシアのジャングルに入っていき、実際に多くの人に福音を伝えました。
今日、日本の教会に最も必要なのは、高等批評や教会成長マニュアルでも、整った設備を要する施設でもありません。
このような行いの伴う信仰こそが、神に用いられる秘訣であると信じています。
ヤコブの手紙 1章22節
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