2010年4月25日日曜日
いつまで待てば
写真は、インドで料理を作っている様子です。
水を井戸まで汲みに行き、火をおこし、ご飯を炊いて、カリーを調合する。
お腹をすかせた子どもには、「いつまで待てば」と気が遠くなる思いでしょう。
インドで驚かされたのは、待たされる時間です。
僕たちはホテルで待つのですが、約束の時間から8時間遅れで来た牧師もいます。
チャーチオンザロックの牧師には、約束を守ることを教えています。
最初は3~4時間遅れることもあったので、「日本人との約束は、オン・タイム」を厳しく伝えました。
本人は反省した様子でしたが、あることに気付きました。
彼らは、時計を持っていなかったのです。(もちろん、当時は携帯電話も持っていませんでした。)
これでは無理もないと思い、腕時計をプレゼントしました。
彼らにとっては、生まれて初めてのことで、何度も手首を眺めていました。
私たち日本人は、時間を意識し、こだわる国民性です。
乗り物の接続、診察の待ち時間、プレゼンテーションの残り時間・・・。
どれも、把握できないことにストレスを感じます。
主イエス様の再臨に関しても、どうしても知りたいと思う人がいるようです。
しかし、主は「いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです」と語られます。
主の約束は、確かなものです。
神が教会に望んでいることは、信仰を持ち、いつでも目をさましていることです。
テサロニケ人への手紙第一 5章5節~6節
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