2010年11月15日月曜日
キリストが教会から追い出された?
ミズーリ州の二―ル・トンプソン氏は、過去22年に渡り、イエス・キリストの格好で地域の教会を回っていました。
ニュースの内容によると、この信仰心の厚い男性は、いつものように教会に行ったのですが、セントポール・ルーテルズ教会では、助祭から聖堂に入らずに廊下に座るように指示されました。
「君、無礼じゃないか。私に対して正しい接し方ではないぞ」と反論すると、警察に通報され、退去させられたそうです。
11月11日のMSNジャパンでは、写真入りでこのニュースが掲載されていました。
詳細は分かりませんが、現代の教会にとって、ある意味で考えさせられる記事だと思いました。
教会は、キリストがかしらであり、キリストの名によって集まるところであり、救いの岩の上に建てられるものです。
しかし、人とは、いつも目に見える何か、人中心の考え、伝統や形式等にとらわれやすい性質を持っています。
聖書にあるユダヤ人を見る時に、人間は宗教的な生き物であることが鮮明に描かれています。
もちろん、教会は建物ではなくキリスト者(つまり人)の共同体です。
しかし、キリスト以上に人間を優先することや、宗教、世俗主義を取り入れることとは、全く異質であることを知らなければなりません。
王が治めなければ、王国とは言えません。
同じように、キリストがかしらでなければ、教会とは言えません。
黙示録では、終わりの時代にイエスキリストが戸の外に立ってたたくと書かれています。
信仰の創始者であり、完成者であるこの御方を見上げて、かしらと肢体が一体であるように従っていくこと。
これこそが、複雑かつ多様性が要求され、様々な情報が渦巻く、現代における教会が見失ってはならない真理なのです。
ヨハネの福音書 17章21節
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