2015年12月26日土曜日
2015年12月24日木曜日
2015年12月22日火曜日
2015年12月14日月曜日
2015年12月11日金曜日
なぜ、だまされるのか
反日思想を持つ国の特権階級層が持つ本音だそうです。
過去の歴史からみて、日本は敵に回すと恐ろしい国である。
けれども、日本の国民は世界一洗脳されやすい。
どこかに洗脳されるのだから、自分たちの敵となる前に洗脳し、国力を弱める必要がある。
戦後、日本の在り方を見ると、なるほどと思わせる節があります。
では、日本のクリスチャンはどうでしょう?
世界一かどうかは別として、だまされやすいことは間違いありません。
ニューエイジや左翼思想、リベラル神学、異端である統一協会やカルトも、いとも簡単に教会内に入り込んでいます。また、なぜか、ISISをはじめ、イスラム教テロ組織が動機としている陰謀論やサタンの策略説を疑いのない真理と考える人がいます。
サタンは実在し、どの時代にも陰謀があるでしょう。
しかし、その思想や教えが神からのものなのか、聖書は指示しているか、聖霊様が示したことなのかについてはどうでしょう?
イエス様は、神に対しては、鳩のように素直であり、狼(羊飼いから離れた羊を餌食にする)に対しては、蛇のようにさとくあるよう語られました。
マタイの福音書10章16節
2015年12月2日水曜日
主のみこころなら
今年11月のバドミントン大会に出場する計画をたてました。
6か月前から、決勝戦までの試合数を想定し、準備しました。10月に入り、25年ぶりに練習量を多くして体を追い詰めました。その後に疲労を回復し、万全の体調で臨む予定でした。
全ては順調に進みましたが、同居している母親が風邪を引いていました。自分自身は、うがいにマスク着用、サプリメント補給とできる限りの予防をしましたが、激しい練習が免疫力を低下させ、ついに風邪を引き、発熱しました。真剣に祈りましたが、その結果、エントリー済でしたが、出場を取り止めました。
選手なら、誰でも悔やんでも悔やみきれない心境になるでしょう。クリスチャンになる前の自分だったら、そのような時は落ち込んでいました。
しかし、今は全く違います。主のみこころなら出場し、主のみこころなら優勝する。それは、個人の名誉のためではなく、主を証するためのものです。だとすると、また来年、自分に出来るベストを尽くせば良いだけです。それが主のみこころなら、どんなことでも証することができるでしょう。
人生はすべて、与えられたいのちがあってのものだからです。
ヤコブの手紙4章13~15節
2015年11月29日日曜日
義に飢え乾く者
5歳のマイロ君は、お母さんと大好きなレストランに行きました。
ところが、隣の席にいたお客が「ここは、障がい者が来るところではない。こんな子は来てはいけない」と大きな声をあげたそうです。
マイロ君は、ダウン症だったのです。
その時、レストランの店員マイケルさんは、大声をあげたお客に対して、
「申し訳ありませんが、お客様にお料理をお出しすることは出来ません」と語りました。
そのお客は、不機嫌になり「だったら、帰る」と言ったので、マイケルさんは「ありがとうございます。」と言いました。
マイケルさんは、「障がいを持った子が来てはいけないというのは、肌の色が異なる者が来てはいけないと同じことだ」と語ります。
マイロ君のお母さんは、リスクを冒してまで行動してくれたことに驚き、感謝したそうです。
このお客が逆切れする、店の悪口を言いふらす、殴りかかってくるなど、幾つもの場面が考えられるでしょう。
自分のためではなく、正しさのため行動したことに、価値があります。
これが日本ならどうでしょうか?
お金を払ってもらう相手だから、大声をあげた方もお客様だから、面倒はごめんだからと対処するなら、根本的に正しさが無い行動となります。
聖書は、何が悪いことか分からない者に真の罪を教えます。
何が正しいのか分からない者に、神の義を教えます。
正しい行動するには、リスクは回避できません。
煙たがられ、ねたまれ、憎しみを買い、損をして、孤独な状態になることもあるでしょう。
しかし、イエス様は、「義に飢え乾く者は幸いです」と教えられました。
私たちは、毎日、どれ程神の前に正しい行動をしているでしょうか。
マタイの福音書5章6節
2015年11月26日木曜日
2015年11月22日日曜日
文化のジハード
世界中を震撼させるテロ組織ISISですが、驚くべきことは欧米からの志願者が多いことです。
中東系民族を除くと、イギリス・フランス・ベルギー国籍の若者が群を抜いています。
未信者の方からは、キリスト教国なのになぜ?という質問を投げられます。
信仰は文化ではありません。また、教養、習慣、宗教でもありません。
ジハードという言葉を聞くと、自爆テロを思い浮かべる人が多いのではないでしょうか?
しかし、イスラム教には文化のジハードという方法があるのです。
文化の定義は幅広くありますが、人間が自然に手を加えて形成してきた物心両面の成果、あるいは、人間が後天的に学ぶことができ、集団が創造し継承している認識と実践のゆるやかな体系と表現されます。
文化のジハードとは、イスラム世界以外の内側に潜伏し、どんな手段をとってでも堕落した悪魔的な西洋文明を覆し、ムスリムに改宗させる(あるいは傾倒させる)活動のことです。
そのためには、ユダヤ人秘密結社の陰謀、それを支えるアメリカがサタン国家で、キリスト教はそれらを推進する十字軍宗教という定義づけが不可欠となります。
(真の)信仰を持っていない欧米の若者や、社会に不満や怒りを向ける人々にとっては、偽善を罰していると自分を正当化する根拠となります。
真のキリスト者は、たとえ文化が正しくても間違っていても、どんな裏情報を聞き、インターネットで何を見たとしても、それが真実と鵜呑みにすることはありません。
聖書から現実社会を判断し、必要なことは聖霊様に示してもらうように祈ります。
ユダの手紙18節~21節
2015年11月19日木曜日
平和をつくる者
11月13日、フランスのパリで同時多発テロがあり、129名が犠牲となりました。その直後に、大統領によるISISとの戦争宣言、報復の空爆があり、同時にロシアも旅客機爆発の報復として、原油輸送用のタンクローリー数百台を破壊しました。
各国の攻撃により、ISISが多大なダメージを受けたことは明白です。
しかし、空爆や攻撃により平和が訪れるかといえば、それは不可能でしょう。
テロ首謀者や賛同者が死亡しても、親族や地域の人々、(全てではないが)イスラム教徒の憎しみが収まるわけではありません。
僕の友人には、何人か元テロリストのクリスチャンがいます。
50名以上の部下を統率するリーダーが、日本に愛を伝えるため宣教師となりました。
爆弾テロを計画して実行する寸前の男が、悔い改め、イギリスで宣教師として働いています。
インドでは、迫害されることを覚悟して、テロリストから牧師となった者もいます。
彼らが神の子どもとなったことによって、一体どれ程の命が救われたのでしょう。
空爆や報復は、命を奪い、そこから新たな憎悪が生まれます。
しかし、福音は地上の命を救い、永遠のいのちを生み出します。
イエス様は、神の子どもこそ、平和をつくる者であると教えて下さいました。
マタイの福音書5章9節
2015年10月29日木曜日
得た約束と得ない約束
へブル人の手紙11章には、旧約時代の信仰の人々が多数登場します。
その人々が得なかった約束のものとは、何でしょうか?
13節には、地上での生活は、旅の途中であり、天の故郷にあこがれていたとあります。
33~34節には、今度は、信仰の勇士たちが約束のものを得たことが描かれています。
国々を征服したのは、正しいことを行ったのは、弱い者なのに強くされたのは、どこででしょうか?
それは、地上の旅行中の出来事です。
イエス様を信じ、天の国籍が与えられている私たちは、何と幸いなものでしょう。
私たちは、旧約の人々が望んだ約束をすでに得て、地上でも約束のものを受けることが出来るのです。
望むことと約束を得ることをつなぎ合わせるのは、「信仰」だと聖書は語ります。
へブル人への手紙11章1節
2015年10月11日日曜日
主が笛を吹くなら
笛をふいても踊らないということわざがあります。これは、聖書から出たものです。
どんなに準備してもらっても、誘いあるいは勧めてくれても、応答しない人のことです。
日本では、1970年代から三無主義(無関心・無気力・無責任)と言われてきました。さらに無感動も加わり、四無とも言われます。
迫害の迫る中で伝道をしている、インドのキリスト者がこんな証をしました。
「真夜中にふと目が覚めて、一人祈ることがあります。これまでの人生に起きたことが思い起こされ、いつも、涙がほおをつたいます。自分が何者だからといって、主はこんなにも恵みを与えて下さるのでしょう」
笛を吹いても踊らないのではなく、打てば響く存在になった者の感謝と感動の涙です。
マタイ11章16~19節
2015年9月16日水曜日
日本を愛する人たち
9月12日、石狩にあるCFNJで同窓会が行われました。
この聖書学院は、1985年(当時はアジアキリスト聖書学院)、チャールズ&ダイアン・グリコご夫妻によって始まりました。お二人は、神様から与えられたミッションに多くの犠牲を払って、従い続けています。
実は、1990年、Cグリコ師は、新生する前の僕に手をおいて祈ってくれたのです。
今回、CORミニストリーの報告をした時、とても興奮し、また、喜んで下さいました。
もう一組のご夫婦は、グリコご夫妻の後に学院長となられたガルザご夫妻です。
すでに、学院の責任というバトンは渡しましたが、毎年、日本に来て熱いメッセージを与えて下さっています。
神に、そして神の家族に、愛されていることを再認識する時となりました。
コリント人への手紙第二13章11~13節
2015年9月13日日曜日
バプテスマ
8月30日、COR中の島に集う長谷川君が水のバプテスマを受けました。
使徒の働きでは、エチオピアの宦官がバプテスマを受ける場面があります。
彼は、イザヤ書に書かれた小羊が誰なのか分かりませんでした。
しかし、ピリポから福音を聞き、信じた宦官はその場で受けたのです。
日本で生まれ育った私たちとは、生まれながらにして聖書に親しむ点で大きな違いがあります。
長谷川君は、自分がキリストを信じ、洗礼を受ける決心をした証をしました。
その内容は、主がどのように自分を癒してくれているかについてでした。
新生には、何らかの変化が伴います。彼が洗礼を受けるのには、何のさしつかえもありませんでした。
地上でも、天でも、多くの聖徒たちが喜びに満ちた時となりました。
使徒の働き8章35~36節
2015年9月4日金曜日
いたんだ葦を折ることもなく
葦は、川や沼などの近辺に生え、2~3mの高さにもなります。
高くなると折れやすく、一度折れたなら、回復することはなく枯れるのを待つだけです。
人は、自分の弱さやありのままの状況を認めることが出来ません。
一例ですが、アルコール依存症の人はどうでしょう。
日本で飲酒をすることは違法ではありません。ほぼ、皆が自分はやめられると答えます。
あるいは、周囲の力で一時的に断酒した場合、自分自身で出来たと勘違いします。
そんな状態の人が本当の回復を経験するには、まず、自分の弱さを認識しなければなりません。そして、いたんだ葦を折ることがない御方に信頼する、へりくだった心が必要です。
イエス様だけが、いたんでしまった葦をも回復させて下さる御方なのです。
イザヤ書42章3節
登録:
投稿 (Atom)