今年11月のバドミントン大会に出場する計画をたてました。
6か月前から、決勝戦までの試合数を想定し、準備しました。10月に入り、25年ぶりに練習量を多くして体を追い詰めました。その後に疲労を回復し、万全の体調で臨む予定でした。
全ては順調に進みましたが、同居している母親が風邪を引いていました。自分自身は、うがいにマスク着用、サプリメント補給とできる限りの予防をしましたが、激しい練習が免疫力を低下させ、ついに風邪を引き、発熱しました。真剣に祈りましたが、その結果、エントリー済でしたが、出場を取り止めました。
選手なら、誰でも悔やんでも悔やみきれない心境になるでしょう。クリスチャンになる前の自分だったら、そのような時は落ち込んでいました。
しかし、今は全く違います。主のみこころなら出場し、主のみこころなら優勝する。それは、個人の名誉のためではなく、主を証するためのものです。だとすると、また来年、自分に出来るベストを尽くせば良いだけです。それが主のみこころなら、どんなことでも証することができるでしょう。
人生はすべて、与えられたいのちがあってのものだからです。
ヤコブの手紙4章13~15節
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