どちらもその権威を持っているのは神様です。
この社会の裁判でも、自分の判決を言い渡すのは、自分ではないはずです。
しかし、人は自分で自分を赦し(実際には許しなのですが)あるいは、裁くということをします。
創世記にあるように、人間にとって、神のようになりたいという思いは最も強い誘惑です。
全能者の裁きは、完全に正しく、そのまま信じてゆだねるべきものです。
また、救い主が与える赦しは、完全であり、どんな罪も雪よりも白くすることができます。(たとえ、私たちの感情が何といってもです。)
信仰は、その口に、ただ、「アーメン」と言う言葉を与えて下さいます。
ルカの福音書7章49節
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