2012年7月15日日曜日
信仰の量り
つい最近、シンガポール最大の教会の指導者が逮捕されました。
非営利の献金を、米国で妻が行っている芸能資金(つまり営利目的)に流用したためです。まだ、罪が確定したわけではありませんが、悲しい出来事であり、未信者のつまづきにならないことを祈るばかりです。
この教会は、いわゆるメガ・チャーチであり(2万人以上の会員数)、牧師は米国で豪邸に住み、シンガポールとの往復にはFクラスを利用など賛否両論がありました。
*誤解を招きたくないので書きますが、このこと自体が罪とは言えません。
日本やアジアでも、「彼のような牧師になりたい」と言われる存在だったようです。
以前に、スリランカの指導者から聞いた話を紹介します。
彼が他国から招かれた時に、ビジネスクラスの航空券が送られてきたそうです。
その時、「次回から、エコノミークラスでお願いします。なぜなら、その差額を自国の牧師○人分の年収に充てたいので。」と招待した教会に伝えました。
その時、「彼のような信仰になりたい」と強く思いました。
どちらが正しく、間違いであるかを決めることはできません。(少なくとも、僕にはそのような権限はありません)
それぞれの国、環境、とらえ方による違いがあるからです。
また、その人の動機は、簡単に量ることができないものです。
聖書には、人は異なる信仰の量りと書かれています。
ただ、指導する立場の者には、大きな責任が伴います。
何かを判断する時、また、自分が正しいと思う時こそ、主の前に出て祈る必要があります。
神よ。私を探り、私の心を知ってください。
主は、私たちの大祭司であり、大牧者です。
詩篇26篇2節
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿