2020年9月10日木曜日

真の悔い改め

 


9月6日、テニスの全米オープンでジョコビッチ選手(世界ランク1位)が、後ろにボールを軽く打って返したが、線審の女性に当たり失格になりました。

驚いたジョコビッチは、すぐに線審に駆け寄り誤りましたが、ルールでは、「コート内で故意に危険または無謀なボールの打ち方をした行為、あるいは結果を考えずにボールを打った行為」は失格になります。ジョコビッチ選手は今回獲得したランキングポイントを全て失い、賞金も没収されたうえに、罰金も支払うことになります。

これに怒ったジョコビッチ選手のファンが、ネット上やSNSなどで、線審の女性を非難しました。それを知ったジョコビッチ選手は、「線審は何も悪いことはしていない。みんな彼女に優しくしてほしい。あれは、故意ではなかったが自分の過ちだった。」と声明を出したのです。これは、ジョコビッチ選手が、自分の行為に非があったことを認め、反省していることの証明です。

この出来事から、考えさせられました。世界的に有名な選手であれ、故意ではなくてもルールに従い、謝罪しても罰則が科せられます。

たとえ、どんなに大きな教会の神父や牧師であったとしても、過ちは過ちであり、謝罪し責任を負わなければなりません。もちろん、真に悔い改めれば、神様は何度でも赦して下さいます。しかし、聖書には明確に、悔い改めには実(つまり目に見える結果)が伴うと、書かれています。罪を犯した聖職者を組織的に隠ぺい、TV伝道者がスキャンダル後もそのまま継続すること、もっと小さなグループ内でも、指導者が信者を自分に都合よくコントロールし続ける等。これらは、人の目には見えなくても神の目には明らかな罪です。

日本にありがちな、モンスターペアレンツやクレーマーのようになりなさいと言っているわけではありません。主の前に、誠実に歩むことが祝福を受ける秘訣です。

ザアカイは、命じられたわけでもないのに、悔い改めを行動で現しました。

それは、刑罰の恐れはなく、イエス様に出会った喜びが原動力でした。

ルカの福音書19章1~10節

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