今月1日に、右目網膜剥離と診断され、入院施設のある大きな病院への紹介状が出されました。翌2日に眼科に行き、網膜裂肛(網膜に破れがあり穴が空いている)により、網膜剥離(フィルムのような網膜がはがれ失明する)が起きていると診断されます。すぐに、レーザーによる治療(網膜裂肛であればこれで治る)がされましたが、女医さんの説明も、やや重い雰囲気でした。17日の検査で、剥離がそのままであれば、手術し入院と告げられました。
多くの人たちが祈ってくれました。今まで多くの人を祈る側でしたが、これ程、祈ってもらったのは初めてだと思います。手をおいて、あるいは祈り会や断食までしてくれる人もいました。お見舞いといって献金してくれた人も、自分にはこのような経験はありませんでした。
イエス様は、なぜいやされるのか?残念ながら、クリスチャンであっても、いやしを信じない人もいます。(これは、神様に対し、いりません、受け取りを拒否します言うのと同じことです)神様は、僕たちを驚かせたり、多くの人を集めたり、多くのお金を集める必要がありません。ただ、病の人をあわれみ、その愛を目に見える形で現してくれるのです。
今日、診察を待っていると、病院にもかかわらず、主の臨在に満たされました。
いつものようなキリストの愛に包まれ、そして、不思議な体験をしました。キリストに結び合わされている家族の愛に包まれたのです。そして、名前が呼ばれ、診察室(個室)に入り、喜びの結果と女医さんの笑顔で、病院に別れをつげました。
イエス様の愛は、様々な方法で注がれます。主に愛され、主を愛する人生です。
マルコの福音書1章40~42節
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