人は、生きるために何かしらの関係が必要となります。
しかし、それは傷つきやすく、はかなく、壊れやすいものでもあります。
ですから、人はまず、神とつながることが重要です。
イエス様はぶどうの木で、私たちはその枝であり、同じいのちを共有する関係です。
あるところで、ダビデとヨナタンの関係についてメッセージしました。
二人の関係は、契約に基づいたものであり、一方からは解除することはできません。
残念ながら、クリスチャンの中でこのような関係はごく稀にしか見られません。
日本の教会内での関係は、この世と変わらない、あるいはそれ以下が多いのが現状です。
僕自身は、インドの牧師とダビデとヨナタンの契約を切りました。
キリスト者には、麗しいフィレオの愛(日本語は友情ですが友愛)で結ばれることができます。それは、どんなに距離が離れていても、どんなに年月が経っても、どんなに状況が変化しても、年の上下も、立場も、国籍も、性別も越えた関係です。
これは、神の愛が注がれるからこそ、可能となるのです。
サムエル記第一20章16~17節
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