2016年8月4日木曜日

よくなりたいのか


38年間病気で寝たきりの男性が頼っていたのは迷信でした。しかも、彼はユダヤ人ですから、罪の自覚はあったはずです。
そんな時、ベテスダの池(人工プール)に現れたイエス様が「よくなりたいのか」と声をかけ、次に、「起きて、歩きなさい」と語られました。
この男性がいやされ、宮の中で再会した時、主は、「もう罪を犯してはなりません」と語られます。
救い主が来たのは、さばくためではなく、赦すためでした。
日本人は罪が分かりません。だから、聖書の罪とは何かを伝える必要があるでしょう。
それは、あくまで、その人を救い主のもとに導き、罪の赦しを願う愛という動機からです。
神の恵みといつくしみは、何と深く大きなものでしょう。


ヨハネの福音書5章6~8節

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