2016年8月15日月曜日

8月15日を迎えて


日本海軍中佐だった淵田美津雄は、真珠湾攻撃の指揮官でした。
対するジェイコブ・ディシェイザーは、アメリカの航空隊伍長でした。
戦争の最前線で殺し合い、憎しみあった二人が再会した時に何が起きたのでしょう。

戦火の真っ只中、ディシェイザーは日本軍の捕虜となり、南京で約三年半、獄中で虐待されます。彼は、なぜ人間同士がこうも憎み合わなければならないのかと考え、「人間同士のこうした憎悪を真の兄弟愛に変えるキリストの教えというものについて、かつて聞いたことに心が向き、聖書を調べてみようという不思議な欲求にとらわれた。」のでした。
1944年に、看守が隠して差し入れてくれた聖書を読んだ彼は、イエス・キリストを信じ新生します。自分を拷問した日本軍に対する憎しみは赦しと神の愛に変わり、やがて日本の人々に福音を伝えたいという願いを持ちます。

彼は、戦後アメリカに戻り、宣教師として日本にやってきます。渋谷駅前で、「私は日本の捕虜でした」というトラクトを受け取ったのが、淵田でした。イエス様の十字架のことば「父よ、彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか自分でわからないのです。」は、自分のための祈りだと心に強く迫られ、「私は愛国心の名のもとで多くの人を殺した。それは、キリストがすべての人の心に与えようとしている愛を知らなかったからだ。」と悔い改め、涙を流したそうです。そして、1950年4月12日、イエス・キリストを救い主として信じます。淵田は人生の最後の25年間を伝道者として、敵国であったアメリカに渡り、神の愛と赦しのメッセージを多くの人々に伝えます。
どんな小説や映画よりも感動的な真実は、力ある十字架のことばにより実現しました。


コリント人への手紙第一1章18節

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