2014年12月20日土曜日

カルトの定義


カルトについて、よく質問されることがあります。
カルトという英語、それにあたるフランス語やドイツ語も、元々は悪い意味合いではありませんでした。

しかし、1970年代には、900名以上が集団自殺した人民寺院をはじめ、様々な被害をもたらす、集団、宗教、哲学、運動などに対し、この表現が使用されるようになりました。1985年には、「カルト問題:学者と識者のための協議会」により、定義が採択されました。以下に紹介します。

「カルトとは、ある人間か、観念か、物に対して、過度の忠誠心・献身を現し、非論理的な方法で人を操作したり、高圧的な手段により人を説得したり、コントロールしたりしようとする集団、あるいは運動である(その方法とは、友人や家族から隔離させること、衰弱させること、暗示感応性や服従心を高めるための特別な手段の使用、グループによる強い圧力、情報統制、個性の抹消や批判的な考えの停止、グループに対する依存心やグループを離れることに対する恐怖心を助成することである。)これらの手段は、グループの指導者たちの目的を推進するためのものであり、実際に信者自身やその家族、及び社会に損害をもたらす(あるいはその可能性を秘めている)ものである。」

カルトに共通していることは、マインド・コントロールというテクニックを使い、他者を操作することです。そして、カルトのメンバーは、あたかも自分は変わることが出来た、社会や人間関係を変えられると思い込んでしまうのです。(実際には、思い込まされている)

言葉だけを聞くと、信仰と共通しているかのように聞こえますが、光と闇ほど異質なものです。

真のキリスト者は、新しく生まれ変わり、新しい人生を歩みます。しかし、そこには、明確な、罪に対する解決があります。それは、イエス様の十字架と悔い改めです。

また、何かを変えることが出来ても、それは、真理に基づいています。
真理とは、時代や国、指導者や解釈によって変わることがない、つまり不変であるはずです。
社会には、情報が洪水のように溢れています。
教会が正しい認識を持つ時、確信が増し加わり、主の恵みの深さを実感するでしょう。


コリント人への手紙第二 11章15節

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