9月21日にGOD’s kingdom vol.5が行われました。クリスチャンバンドとゲストが集結し、賛美を通して神の国を知ってもらうイベントです。面白いのは、会場が代々木にあるライブハウスでした。(僕は、毎月一回、代々木公園の通路チャペルでメッセージをしています。)今年は、入場制限があり、オンラインで視聴する人が多かったようです。
早朝、青空の下でも、夕方、ライブハウスでも、イエス様が支配して下さるなら、そこに神の国があります。
ルカの福音書17章21節
弟子訓練に参加している滝本さん夫婦(ターさん&チーさん)が、新しいミニストリーを始めます。それは、「伝える力トレーニング」です。
お二人は、社員研修教育の講師をお仕事にしています。
日本では、福音を伝えることが難しいと言われています。信仰の無い人は、自分で判断し、決定権を持ち、好むものを受け入れます。それは、聖書では王のような人物とされます。
しかし、相手にどんな印象を与え、どういう話し方をするかによって大きく改善されます。
おそらく日本のクリスチャンでは、初めての専門的なトレーニングだと思われます。
伝えることが苦手、あるいは、相手が引いてしまったり、誤解を与えてしまったことはないでしょうか?僕もプレ・ミーティングで、受講しましたが、本当に必要な働きだと思わされました。
箴言22章11節
一つは、今日もこの賜物が必要であること。二つ目に、賜物は聖書により証明され、正しく用いられる。三つ目、賜物は、授けて下さった御方のみこころを行うためのもの。四つ目に、なぜ、ある国(またはある教会)は減少し、ある国(またはある教会)では顕著に与えられるのかです。最初に知る必要があるのは、同じ御霊によって、いろいろな種類の賜物(ギフト)が与えられることです。ギフトは、贈り物ですから、人の側では代金を支払えません。それは、信じるだけで、ただで受け取るからこそギフトなのです。
それは、(神の国の)益となるため、各個人に現わされます。高慢や劣等感を持つためでもなく、議論するためでもありません。キリストのからだには多様な能力が与えられ、それでも一つのからだとして、かしら(イエス様)の指示したままに機能するためのものです。
コリント人への手紙第一12章4~6節
異端の定義は、聖書で明確にされています。それは、異なる福音、異なるキリスト、異なる霊によって、最終的には滅びをもたらします。(ペテロの手紙第二2章1節)
それに対して、カルト(セクト)は、反社会的あるいは非人道的、また、個人の基本的人権を第三者が誘導することです。社会的、人道的の定義が、国により異なり、個人の判断が大きく関わるため、拡大解釈により誤った判断という可能性があります。ただし、マインド・コントロールというテクニックや、ラブシャワーとフォビアによる心理操作は、どの集団や教理にも当てはまるため、カルトの判断基準となるでしょう。
そして、今回は、バイブルカルトとは何かに触れます。
*注意しなければならないのは、自分の聖書解釈や神学、教理や教派、教団と異なることをカルトの基準とするなら誤りに陥ります。(これは、異端を判定する時も同じです)*
これは、聖書を多用し、クリスチャンや教会が、カルトと同じ手法を取り入れているケースです。クリスチャンや教会が、マインド・コントロールを取り入れ、ラブシャワーとフォビア(いずれも聖書に反する動機と目的で)使用します。参照(ガラテヤ人への手紙4章9節)
結果として、口では神と言いながら自分たちの正しさを主張して、本人のアイデンティティと、親子、夫婦、友人、クリスチャン同士、教会と教会の関係を傷つけ壊す結果をもたらします。エデンの園で、人間のアイデンティティを奪い、神と人間の関係を壊したのは、悪魔の仕業でした。
真理とは、イエス様の十字架の贖いによって神と和解させられ、その結果、神と自分、自分自身、そして隣人との関係に平和を持つ者に変えられていくことです。
ローマ人への手紙5章8~11節
9月6日、テニスの全米オープンでジョコビッチ選手(世界ランク1位)が、後ろにボールを軽く打って返したが、線審の女性に当たり失格になりました。
驚いたジョコビッチは、すぐに線審に駆け寄り誤りましたが、ルールでは、「コート内で故意に危険または無謀なボールの打ち方をした行為、あるいは結果を考えずにボールを打った行為」は失格になります。ジョコビッチ選手は今回獲得したランキングポイントを全て失い、賞金も没収されたうえに、罰金も支払うことになります。
これに怒ったジョコビッチ選手のファンが、ネット上やSNSなどで、線審の女性を非難しました。それを知ったジョコビッチ選手は、「線審は何も悪いことはしていない。みんな彼女に優しくしてほしい。あれは、故意ではなかったが自分の過ちだった。」と声明を出したのです。これは、ジョコビッチ選手が、自分の行為に非があったことを認め、反省していることの証明です。
この出来事から、考えさせられました。世界的に有名な選手であれ、故意ではなくてもルールに従い、謝罪しても罰則が科せられます。
たとえ、どんなに大きな教会の神父や牧師であったとしても、過ちは過ちであり、謝罪し責任を負わなければなりません。もちろん、真に悔い改めれば、神様は何度でも赦して下さいます。しかし、聖書には明確に、悔い改めには実(つまり目に見える結果)が伴うと、書かれています。罪を犯した聖職者を組織的に隠ぺい、TV伝道者がスキャンダル後もそのまま継続すること、もっと小さなグループ内でも、指導者が信者を自分に都合よくコントロールし続ける等。これらは、人の目には見えなくても神の目には明らかな罪です。
日本にありがちな、モンスターペアレンツやクレーマーのようになりなさいと言っているわけではありません。主の前に、誠実に歩むことが祝福を受ける秘訣です。
ザアカイは、命じられたわけでもないのに、悔い改めを行動で現しました。
それは、刑罰の恐れはなく、イエス様に出会った喜びが原動力でした。
ルカの福音書19章1~10節
神様が、民に向かい御顔を向ける、それだけで祝福・恵み・平安が与えられます。
今の世界情勢に、最もふさわしく必要な賛美です。
1) 主が御顔 照らし めぐみ 守りが ありますように
祝福と 平安 あなたに
* アーメン アーメン アーメン(X2)
B1)めぐみが あなたの 上に 代々(よよ)に
家族に 子どもに 永遠に あるように(X2)
B2) 臨在 あなたの 前後に 隣に
周りに うちにも 共に あるように
涙の時にも 喜ぶ時にも いつでも あるように
主が今 おられる
主が今 おられる あなたの ために(X2)
*アーメン アーメン アーメン(×2)
民数記6章23~27節
God is here
目と耳を 主が開き この場所に イエスがいる
神がここに 不可能のない神
イエスに会うため 今 進みゆく
主の霊が 注がれる この場所に イエスがいる