2012年12月29日土曜日

どんなときにも


2012年が過ぎ去り、新しい年を迎えようとしています。

今年は、神の家族にこんなことがありました。

 

乳がんの手術をした。

動脈瘤の手術をした。

大腸がんの手術をした。

84年の旅を終えて、天に召された。

ある家族たちは、試練や悲しみを体験した。

 

ダビデはこう語ります。

どんなときにも、神に信頼せよ。 

詩篇62篇8節

 

また、このようなこともありました。

手術後に病室で伝道した。

薬物依存症から解放された。

メモリアル・サービスで福音が語られた。

新しい牧師、新しい教会が誕生した。

 

主は「わたしの恵みはあなたに十分である。」と言われたのです。

わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。

コリント人への手紙第二12章9節

 

この一年のゆえに、主をほめたたえます。

詩篇62篇5節~8節

2012年12月25日火曜日

小さい事に忠実である


母は現在7○才ですが、今も車を運転し、働いています。平成11年に買った新車の方が先に現役引退となりました。

そして、「あと2年だけ運転する」という条件で、中古の軽自動車を購入。

時代遅れ、デザインも内装もダサいと評判のスズキ車ですが、普通自動車のパーツが流用され、耐久性があり、何より冬に最適です。

某一流メーカーでは、軽用に開発した部品が小型乗用車に使用されコスト・ダウンの発想が真逆なことが分かります。

「車は見た目」で選ぶ人も多い日本ですが、どんな製品でも長持ちするのは、基本設計が重要です。

 

聖書には、小さなことに忠実である人は大きなことにも忠実であるとあります。

主は、人目につかない、あるいは些細なことにでも忠実な者に対し、大きな責任をお与えになるのです。

目に見える世界での価値観、神の国の価値観は、しばしば異なります。

あなたの人生、誰に評価されることを意識しているでしょうか。

 

ルカの福音書16章10節

2012年11月23日金曜日

三つの喜び


旅行好きの人には、準備の時・旅行期間・アルバムを整理する時と三重の楽しみがあると聞きます。

今年も11月2日から11日まで、3人のハワイチームが滞在しました。

彼らを迎える準備、同じ時間を過ごし、送った後の余韻と友人は三つの喜びを与えてくれました。

特に、この一年間試練を通り、今も職が無い状態で日本に来てくれた友には感動を覚えました。

生涯初めて、見送りで号泣した人もいたほどです。

主にある友情、兄弟愛、これも素晴らしい恵みです。

箴言17章17節

2012年11月20日火曜日

出産とスピード復帰


今日、タレントの「妊娠が発覚し結婚」という見出しは珍しいものではなくなりました。

ある「ママタレ」は、7月に出産し、10月からグラビア・TV出演で復帰し注目を集めました。世の視線は、「出産後3か月でこの体型を取り戻した」ことに向かいますが、生後3か月の子供は誰に育てられているのでしょう?

 

聖書は、親の責任を明確に語ります。親は、子を産むことで自動的に良い親と認められるわけではありません。正しく愛して、育てることによって初めて良い親に成長するのです。

 
多くの人には、出産後3か月で胸がはだけたグラビア、TV復帰することが、かっこいい・美しいママの姿と映るようです。

キリスト者は、一緒にいて、正しく愛し、正しくしつける親に価値を見出します。

エペソ人への手紙6章4節

2012年10月27日土曜日

虚偽の発表~その結末


ips細胞開発により、山中氏がノーベル賞を受賞しました。

その直後、世間を騒がせたあの出来事がありました。

その結末は、10月19日、東京大学から森口氏を懲戒解雇する発表がなされました。大学の名誉や信用を著しく傷つけたという理由でした。

 

では、進化論という仮説に関してはどうでしょうか?

1912年イギリスで発見されたピルトダウン人は、悪質な加工が加えられた虚偽の発見であることが判明しましたが、責任を負う人は存在しません。1889年のジャワ原人や、ラマピテクス、オルス人、有名なアウストラロピテクスのルーシーなど数え切れないほど、虚偽の証拠が発表されています。

ある人は、誤りであり虚偽ではないと言うでしょうが、それでは、なぜ誤りであったことを公に発表しないのでしょうか。それどころか、誤った根拠をもとに新たな仮説を展開し、あたかも科学のように見せかけるのは、意図的な虚偽としか言いようがありません。

 

人類にとって素晴らしい発見があり、また、偽りも多くあります。

真のキリスト者には、惑わしや流行に影響されない秘訣があります。

それは、この全宇宙は創造主による作品(被造物)であるという真理に立つことです。

 

ローマ人への手紙1章25節

2012年10月17日水曜日

聖霊に満たされる

聖書の時代にはなく、現代の教会にあるものは多いでしょう。

三角屋根に立つ十字架のモチーフ、神父のガウンや牧師のネクタイ、クリスチャンの礼拝用の不動産など、挙げればきりがありません。

これらは、罪ではありませんし、便利で良いものもあるでしょう。
また、66巻が一冊に印刷された聖書が存在する、素晴らしい時代でもあります。

 しかし、新約聖書の時代にはあって、今日の教会が失ったものがあるとすれば、それは重大な問題です。

 

迫害にも負けない主キリストへの信仰。

聖書を持てないがゆえの、みことばに対する飢え渇き。

キリストの証人になるために不可欠な聖霊の満たし。

これらをお金、高度な神学書、先進の心理学で得ることは、不可能です。

 

これらは、むしろ、貧困や差別・迫害が絶えない国でキリスト者の内に維持されています。

イエス・キリストは昨日も、今日も永遠に変わることがなく、真の弟子が聖霊に満たされることも変わることがありません。

使徒の働き7章54~56節

2012年10月13日土曜日

弱いときにこそ


人生の中で自分の弱さを感じることがあります。

それは、試練、困難、迫害、病気など人によって様々でしょう。

 
そんな時、人(あるいは自分)の力に頼るならば、失望に終わってしまいます。
自分を正当化することや、やせ我慢することもできるでしょう。

しかし、発熱し、くしゃみが止まらないのに、「自分は健康だ!」と言うのは滑稽なことです。

パウロは、自分の弱さのうちにこそ、キリストの力を体験できると語ります。
サウロ時代の特権も、使徒と召された後の力でもなく、(自身の)弱さを誇る信仰へと変えられたのです。

 
真のキリスト者は、弱いときにこそ、主により頼む生き方をします。
その時に、全能者の力強さ、神の恵みを体験するのです。

 
コリント人への手紙第二12章9~10節