2020年1月25日土曜日

聖書のとりなし



とりなしの祈りとは、以下のように訳することが出来る言葉です。
(勢いよく)ぶつかる、間に入る、懇願する、結び合わす、仲裁等。
実際に、他の誰かのために祈ることですが、目に見えない世界でのブレイクスルー(打ち破り)が起きます。その動機は、人々の救いや守り、祝福やミッションの追行のためです。
反対は、自我の満足や、他者の呪いや裁きのために人と神以外の何かの間に入ることです。
1989年、僕は、まだ罪の中にどっぷりと浸かっていました。希望が持てなく、自分自身に落胆して、辛くて耐えられなくなりました。
その時、サイドビジネスのために借りていた部屋で自殺しようとしました。
遺書を書き、片手にナイフを持ち、手首を切ろうとした時、人生の様々な場面が走馬灯のように浮かんできました。その時、クリスチャンの女性が、その部屋に飛び込んできました。
彼女が、祈っている時に、神様が示されたからです。それ以降、神様が存在し与えられた命を、自分で奪うことは罪だと分かり、もう、自殺することができなくなりました。
その後、少し時間がかかりますがイエス様を主と告白し、人生を捧げました。
今、イエス様は、父の右に座してとりなして下さっています。
同じように、神の子どもは、この地上でとりなしの祈りを捧げます。
イザヤ書53章12節

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