5歳のマイロ君は、お母さんと大好きなレストランに行きました。
ところが、隣の席にいたお客が「ここは、障がい者が来るところではない。こんな子は来てはいけない」と大きな声をあげたそうです。
マイロ君は、ダウン症だったのです。
その時、レストランの店員マイケルさんは、大声をあげたお客に対して、
「申し訳ありませんが、お客様にお料理をお出しすることは出来ません」と語りました。
そのお客は、不機嫌になり「だったら、帰る」と言ったので、マイケルさんは「ありがとうございます。」と言いました。
マイケルさんは、「障がいを持った子が来てはいけないというのは、肌の色が異なる者が来てはいけないと同じことだ」と語ります。
マイロ君のお母さんは、リスクを冒してまで行動してくれたことに驚き、感謝したそうです。
このお客が逆切れする、店の悪口を言いふらす、殴りかかってくるなど、幾つもの場面が考えられるでしょう。
自分のためではなく、正しさのため行動したことに、価値があります。
これが日本ならどうでしょうか?
お金を払ってもらう相手だから、大声をあげた方もお客様だから、面倒はごめんだからと対処するなら、根本的に正しさが無い行動となります。
聖書は、何が悪いことか分からない者に真の罪を教えます。
何が正しいのか分からない者に、神の義を教えます。
正しい行動するには、リスクは回避できません。
煙たがられ、ねたまれ、憎しみを買い、損をして、孤独な状態になることもあるでしょう。
しかし、イエス様は、「義に飢え乾く者は幸いです」と教えられました。
私たちは、毎日、どれ程神の前に正しい行動をしているでしょうか。
マタイの福音書5章6節