2014年11月18日火曜日
欺く者
人はどのようにして、また、どんな人物に欺かれるのでしょう?
見るからに信頼できない人に欺かれる人は、まずいないでしょう。
クリスチャンは、人を疑いの目で見たくはありません。信頼したい、あるいは欠点よりも良い点に目を向けるのが普通です。
しかし、クリスチャンを名乗って親しいと思っていた人、また、育てた、あるいは助けていた人なら欺かれることもあるでしょう。
それが、現実です。
そんな時には、真のキリスト者は、イエス様を想うのです。
選民の手により十字架にかけられ、弟子たちでさえ、見捨てて逃げ去りました。
しかし、それでも愛して下さいました。
それでも、ミッションは果たされたのです。
オバデヤ書7節
2014年11月15日土曜日
2014年11月12日水曜日
季節が変わる時
今年の札幌は、例年より早く雪が降り、スタッドレス・タイヤへの交換も早めに行いました。
季節が変わる時、自然界では様々な変化があります。冬眠する生き物や渡り鳥など、それぞれが備えます。
では、人間はどうでしょう。
札幌市民は、タイヤやスノーブレードの交換、衣類や靴を冬用に替え、暖房機器も準備します。それらは、生活に必要な物質に頼る準備と言えます。
しかし、自らを冬に適応させるための準備はどうでしょう。
柑橘系の香り、意識して日光にあたること、体を動かす習慣など、出来ることはたくさんあるはずです。
しかし、自らは何もせず、お金や物質に頼るなら、それは依存と似ています。
人には、神から与えられた優れた知性があるはずです。
日本人は、教室で暗記した知識より、神からの知恵を、もっと用いるべきではないでしょうか?
主よ、あなたの知恵は何と深く大きいのでしょう。
箴言9章9節
2014年11月9日日曜日
地でも行われますように
24年ぶりにバドミントンの大会に出場しました。シングルスの練習はせずに、ぶっつけ本番で臨みました。
低いクラスではありますが、優勝することができました。
競技を離れた頃を少しだけ思い出します。当時は29歳で、体力が急激に衰え、それだけではなく、自分が罪人だと認識し、人生の中で最も暗い(と思っていた)時でした。辞めたいけれども決断できず、喜びがなかったことを記憶しています。
もう2度とプレーすることはないと思っていました。あることがきっかけとなり、昨年、教えるためにラケットを握りました。
プレーし始めた時、自分の体とは思えないひどさでした。その疲労たるや、初心者だった頃以上かもしれません。けれども、再開することが主の導きだと理解できたためか、とてもすがすがしい気分でした。
そればかりか、あることが示されました。
この目に見える世界において、キリスト者はどこで輝くのでしょう?
ビジネス、学業、政治、音楽、そしてスポーツと、あらゆる分野でそれが可能であるはずです。今後も大会に出るのがご計画なのかは、自分自身、今は分かりません。
しかし、この体験を通し、御霊なる主が示して下さったことは、人生の宝です。
主の恵みは、数え切れなく、この先も続いて行きます。
マタイの福音書6章10節
2014年11月6日木曜日
2014年11月4日火曜日
2種類の預言者
真理のみことばに敵対する異端があるように、神が立てた預言者と異なる預言者がいます。
救い主が来るという、旧約時代からの預言は、神のことばが人となった時に成就しました。
救い主が来ることと、バプテスマのヨハネが語った内容はセットされています。(マタイ3章)
つまり、救い主が来たのは、人が罪を知り、赦しを受け取るためでした。
それは、アダム以来、神と人類の破れ口を修理し、イスラエルの家を築くという役割でした。
しかし、異なる預言者は、罪を明らかにしないどころか、平安がないのに平安という始末です。
ここに、新しい契約に生きる私たちが知るべき大切なことがあります。
クリスチャンは、正しいからではなく、赦されたから救われた者であるという真理です。
今日も、神の恵みに感謝しましょう。
エゼキエル書13章2~5節
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