2014年7月5日土曜日

とみさんに起きたこと


幼稚園に入る前から、僕は家に放置されていました。当時は、育児放棄という概念が無かったのでしょう。

そんな自分をかわいそうに思い、実の子供のように接してくれたのが、佐々木さん夫婦でした。佐々木とみさんは、母親の姉です。子供ながらに、いつか恩返しがしたいと思っていました。

しかし、社会人の時、職場に一本の電話が来ました。「佐々木とみさんが危篤なので、すぐ病院に来るように」という内容でした。頭をハンマーで殴られたようなショックを受けました。一命は取り留めましたが、脳卒中のため、植物人間となってしまったのです。当時の自分は、会社・スポーツ・家庭もあり、忙しい日々でした。なぜ、元気なうちに、美味しい物をごちそうし、好きなところに連れて行かなかったのか。自分はなんて恩知らずな人間なのかと悔やみました。
お見舞いに行くこともつらく、ただ、泣くことしかできませんでした。
その時、自分が神を恨む者になったことを記憶しています。

叔母さんは、2年間その状態でしたが、その間に、自分が奇跡的にキリスト者となりました。新生して間もなく、再び危篤の知らせが来ます。もう、何を話しても聞こえない、感じない叔母さんに何ができるのか?祈って病院に向かいました。心電図やいくつかの管がついていた集中治療室に入った時、不思議なことに、看護婦さんも親類も誰もその部屋からいなくなり、2人だけになりました。(なぜかは、今でも分かりません)

彼女のすぐそばに座り、耳元で語りかけました。「とみちゃん、イエス様を信じて。唯一の救い主で、信じるなら、天国に行けるんだよ。もし、僕の言ったことが分かったら、声が出なくてもいいから、何かで応答して。」その時、彼女は僕を見ました。顔の向きは動きませんでしたが、眼球だけを動かしたのです。その目には、涙が浮かんでいました。

この2年間、どんな声にも反応できなかった彼女に、「何か」が起きたのです。翌朝、彼女は息を引き取りました。初めての危篤の時は、涙が止まりませんでしたが、この時は平安に満たされていました。イエス様は、2年間植物人間だった叔母に、救いの御手を伸ばして下さいました。僕には、あの時の目と涙が、彼女に出来た信仰の応答だとしか思えません。この証を、叔父である佐々木忠さんに伝えたかったのですが、所在が分からなくなっていました。

それから、23年の月日が流れて、叔父さんとの奇跡的な再会があり、ついに、とみさんに起きたことを伝えることが出来ました。

主よ、あなたの愛と慈しみは、人知をはるかに超えたものです。


ヨエル書2章32節

0 件のコメント:

コメントを投稿