2013年11月19日火曜日

父親の手術と合併症




合併症とは、ある病気(または症状)の影響により、さらに病気(症状)が起こることです。
日本の教会は、霊的な合併症に注意が必要です。

 
ある人たちは、弟子訓練や教会成長に対し、常に批判的です。

そこに加え、ネット上でクリスチャンのスキャンダルを暴くサイトを見続け、さらに、神学上の誤りを指摘する本やセミナーに出会うとします。

その人の思いの中では、全てを結び付け、苦々しい思いにとらわれてしまいます。

その上、決まり文句のように、愛がない等と付け加えます。

 
しかし、弟子を育てるようにと教えたのはイエス様御自身であり、多くの人が救われるなら、結果として教会が成長するのは当然のことです。

また、神の愛は、自分を正当化することでも、他者から要求するものでもありません。

混乱している人は、聖書を批判していることすら理解できない状態になってしまいます。

 
もし、弟子訓練という名のもとで、問題を起こしたなら、当事者が批判されるべきです。

教会成長という名のもとで、聖書から逸脱したなら、その原因が取り除かれるべきです。

 
けれども、愛がないと批判する人は、まず、自身が神の愛に満たされる必要があります。

それを何かに転換しても、ますます問題は深まるばかりです。

 
信仰の量りや価値観、使命は人それぞれです。共有できないことを理由に、人間関係を破壊し、人々につまづきを与えるなら、それは、罪をおかしていることにならないのでしょうか?

 
現在、僕の父親は、膀胱がんと足の血行障害、その他、複数の病気を抱えています。

今週21日に受ける手術にも、大きな影響があります。

一方の治療をしようとすると、もう一方の治療に影響が出て、医師を悩ませます。

それが、どれ程父親を苦しめているかを見ています。

 
日本のクリスチャンも、天の父の心を痛めてはいないでしょうか?

 
その病状がどんなに深刻でも、主はいやし主です。

主イエス様にこそ、すべての解決があることを信じましょう。

 
出エジプト記15章26節

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