2020年4月25日土曜日
恐れるな
連日連夜、コロナウィルスの感染者数が報道されています。航空会社は、減便に次ぐ減便で、ラウンジはがらがら、融資を受けなければ乗り越えられません。百貨店・遊技場・ジム等は閉鎖、飲食業も時間の短縮や閉鎖など社会に大きな影響が出ています。
しかし、冷静になってみると、検査を受けられる人が限定されているにも関わらず、致死率はインフルエンザの半分です。(実際に、検査が実施されたならもっと低いことが明らかになります)インフルエンザの季節に、公共の乗り物が運休になるでしょうか?飲食業が、倒産するのでしょうか?神様を信じていない人には、恐れるなというのは無理な話です。
しかし、これほど多くの日本の教会が、閉鎖あるいはインターネット礼拝をしているのは理解に苦しみます。教会は、政府からの自粛要請の対象外となっています。
うがいや手洗い、マスクに次亜水も用意するのは大切でしょう。やせがまんや無謀を勧めているのではありません。ただ、クリスチャンが恐れによって判断しているとしたら、聖書には何と書かれているのでしょう?答えは、常に「恐れるな」です。今、不安や恐れを感じている人は、そこから自由になる必要があります。自粛するかどうかは、神様に聞けば良いことですが、恐れたままでいるのは、天の父なる神様のみこころではないからです。
すべてのクリスチャンに、神様の愛と平安がありますように。
イザヤ書41章10節
2020年4月16日木曜日
2020年4月15日水曜日
平安があるように
復活されたイエス様が、弟子たちの中に立った時のことです。弟子たちは、ユダヤ人を恐れ、戸をしめていました。彼らは、次は自分の番かも知れないと思ったのでしょう。人は、実際に起きていないことに恐れを感じます。それは、人間にとって悪いニュースからです。
クリスチャンは、良いニュースを信じた者です。イエス様は、恐れおののく弟子たちに、平安を与えました。この平安は、ヘブル語では「シャローム」です。主が、弟子を遣わす時に、この平安を持ち、御霊によって導かれます。逆に、平安も無く、自分の思い込みで突き進むのは、主のみこころではありません。弟子たちの人生という名の旅は、平安と御霊によって幕をあけました。
ヨハネの福音書20章19~21節
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