韓国宣教で、多くの喜びを受けとることが出来ました。平日夜でしたが、(日曜には)3500人が一度に礼拝する教会でメッセージをしました。礼拝の最後に招きをし、いやしと聖霊の満たしを求める大勢の人に按手をしました。主の臨在が満ち溢れ、この教会では、まれにみる光景に、牧師は驚きを隠せませんでした。全てのミニストリーが終了し、教会の応接室で牧師と会談しました。牧師は、「今日の礼拝とメッセージは、私のためでした。」と証しをしてくれたのです。前日に、長年教会を支えて来た末期がんの女性が入院する病院に行ったのですが、帰ろうとする牧師の腕に、彼女は、泣きながらすがったそうです。その牧師は、自分にできることは何もないという無力感で一杯になりました。その翌日に、日本から来たミニスターが、教会の千人程に聖霊といやしのミニストリーを行ったのです。その時、この牧師は「もし、あなたがしなければ、わたしは別の者を使わせる」という主の声を聞きました。彼は、即座に悔い改めたました。日本には無い大規模な教会の牧師ですが、純粋で謙遜な心には感動を覚えました。
ペテロの手紙第二1章8節
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