滋賀県長浜市で、小学2年生の男子が、自宅で鎖につながれるという事件が起きました。
そして、この男子を発見したのは、同じ小学生たちでした。
犯人である両親は逮捕されましたが、もし、発見されなければ深刻な事態となったことでしょう。
この男子は、幼稚園でも食事が与えられない、風呂に入れてもらえないとの報告がなされています。また、男子の左腕にやけどがあったことや、友達にも何をされているか明かしています。
市の家庭児童相談室の職員は虐待を確認できず、一週間休んだ時も、小学校教員と市職員が訪問しましたが、単に両親に質問をして帰りました。警察にも報告されています。
つまり、幼稚園、児童相談職員、小学校教員、長浜署のすべてがこの問題に対し、無力だったのです。関係者たちは、手順も正しく、書類上は(つまりマニュアルでは)落ち度が無かったのです。
発見した小学生たちは、実際に足を運び、窓から見ました。
この行動は、この社会のどんな制度より勝っていました。
新約聖書の時代に来られたイエス様も、ユダヤ教と当時の社会に出来ない事をされました。
この事件の小学生は、鎖に繋がれていましたが、人は罪に縛られています。
キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来たのです。
テモテへの手紙第一1章15節