2016年4月11日月曜日

闇カジノ報道から見えるもの


日本では、バドミントンはマイナー競技です。国際大会などで優勝しても新聞の片隅に、TVのスポーツニュースでは何事もなかったかのように扱われるのが殆どです。
(答えは簡単で、日本で大金が動かない競技は、無価値だからです。)
しかし、リオ・オリンピックでメダル候補の選手が闇カジノに出入りしたニュースだけは、新聞の一面を飾り、謝罪会見に12台のTVカメラ、生中継という扱いでした。

闇カジノが違法であることは、疑う余地がありません。
しかし、ここで考えたいのは、日本人の特性についてです。
日頃バドミントンに無関心な人々が、「同情の余地なし・永久追放しろ・本心から謝罪していない・なめている・チンピラ」となじります。非難の的となった21歳(高卒)の青年に、これらの人々はどう映るのでしょう?
ここぞとばかりに非難する人たちは、本人・家族・知人にも、一度もゲームでお金をかけたこともなく、パチンコや遊具で換金したこともなく、支払ったお金が反社会勢力や北朝鮮に渡ったこともないのでしょうか?

イエス様は、律法学者やパリサイに対し、罪のない者が石を投げなさいと言われました。
完全な裁きと赦す権威をおもちなのは、神だけです。


ヨハネの福音書8章7節

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