近所で起きた出来事です。
いつもの通りを歩いていると、近所のおばさんが雪の上に這いつくばっていました。
近所のおじさんが立たせようとしているようでしたが、様子が変なので近づきました。
「どうしましたか?」と尋ねると、その男性は、「立たせようとしているが、さわるなと抵抗されている」と言います。
試しに、「手を貸しましょうか?」と女性に声をかけると、じっと僕の顔を見ています。
その後、手を伸ばしてきたので、ゆっくりと立たせました。
本当は、僕もこの男性も、しようとしたことは同じはずです。
しかし(なぜかは解りませんが)、一方は拒み、もう一方は受け入れたのです。
クリスチャンなら、誰でも人を助けようとするはずです。
しかし、この出来事と同じようなことが実際にあるでしょう。
聖書は、全てのクリスチャンはキリストのからだの一部分だと教えてくれます。
からだに全ての器官が必要なように、教会に不要な人は一人もいないのです。
むしろ、各自が自分にしか出来ない働きがあると教えられます。
誰もが、主によって、備えられた一人だからです。
コリント人への手紙第一 12章18節
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