2014年3月27日木曜日
それぞれを備えてくださった
近所で起きた出来事です。
いつもの通りを歩いていると、近所のおばさんが雪の上に這いつくばっていました。
近所のおじさんが立たせようとしているようでしたが、様子が変なので近づきました。
「どうしましたか?」と尋ねると、その男性は、「立たせようとしているが、さわるなと抵抗されている」と言います。
試しに、「手を貸しましょうか?」と女性に声をかけると、じっと僕の顔を見ています。
その後、手を伸ばしてきたので、ゆっくりと立たせました。
本当は、僕もこの男性も、しようとしたことは同じはずです。
しかし(なぜかは解りませんが)、一方は拒み、もう一方は受け入れたのです。
クリスチャンなら、誰でも人を助けようとするはずです。
しかし、この出来事と同じようなことが実際にあるでしょう。
聖書は、全てのクリスチャンはキリストのからだの一部分だと教えてくれます。
からだに全ての器官が必要なように、教会に不要な人は一人もいないのです。
むしろ、各自が自分にしか出来ない働きがあると教えられます。
誰もが、主によって、備えられた一人だからです。
コリント人への手紙第一 12章18節
2014年3月23日日曜日
2014年3月21日金曜日
2014年3月11日火曜日
2014年3月8日土曜日
愛をもって
今の右足親指です。
飛行機に乗ることが続くと、足がむくんでしまうので、昨年、フットマッサージを受けたのですが、あまりの痛さで「もう少し軽く」とお願いしました。
が、時すでに遅しでした。
内出血して変色していますが、今は、痛くはありません。
本来、健康のために良いことでも、力加減を間違えるとありうることです。
幸いにも、キリスト者はこのことからも、学ぶことができます。
それが、賜物・才能・能力であれ、主から与えられるものには力があります。
ですから、それを行使する時の動機に気を付けなければなりません。
主からの賜物は、(利己的ではない)愛を動機として用いましょう。
コリント人への手紙第一 16章14節
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